【教養のための世界史】 オリエント文明 -エジプト文明-

今日はエジプトの勉強。ピラミッドの建設は権力を見せ付けるのではなく、公共事業みたいなものだったらしいです。歴史の事実はたまにひっくり返ったりしますね。タイムマシーンができれば、すべて解決と思ってしまうのはロマンがないのでしょうか。

世界史チャレンジ。大学受験や教養、旅行の前になど。毎日少しずつ知っていこう。

 

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あらすじ

 エジプトはナイル川がもたらす豊富な栄養のおかげで発展しました。そこでできた村はやがて王であるファラオによって統治されます。古王国のときにはピラミッドができました。そして、中王国、新王国と続きます。また、当時死からの復活を信じていたので、ミイラを作りました。さらに、十進法、太陽暦なども発明していったのです。

 

概観

  この記事では、赤く囲まれた箇所の歴史を見ていきます。

 

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地図

 まず、オリエントとはどこか地図で確認しましょう。この赤で囲まれたあたりがオリエントになります。

 

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 そして、エジプトの位置の確認しましょう。オリエントを拡大します。エジプトがアフリカにあるって少し意外と思いましたか。赤で囲まれたところがエジプトです。そこにある川はナイル川です。

 

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 場所は、アフリカ北部、ナイル川流域。このナイル川が氾濫することで栄養がある土が上流から運ばれます。ほとんど雨が降らなかったこの地域でも農耕や灌漑ができたのはこのおかげなのです。ギリシアの歴史家であるヘロドトスは「エジプトはナイルのたまもの」と残しています。たまものとは贈り物ということですね。

 

 また、ヘロドトスペルシア戦争史である「歴史」を著しており、歴史の父を呼ばれている。

 

変遷

 話は戻って、これもあってか、ナイル川流域にはノモスという小さな集落ができるようになります。数としては42個ほどあったそうです。前3000世紀頃、上エジプトのメネスによって、エジプトは統一されました。

 

 エジプトの王はファラオと呼ばれ、神権政治を行っていました。ファラオとは、太陽神ラーの代理者という意味です。

 

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 次のメンフィスに都がある古王国(前27~前22世紀)になるとピラミッドが建設されます。場所はギザです。クフ王カフラー王メンカウラー王がそれぞれ建設させました。3大ピラミッドといいます。中でもクフ王ピラミッドが最大のピラミッドです。

 

 ピラミッドは「王の権力」を示すために作られたと言われていましたが、最近では、公共事業だったという説が出ています。人々が農作業をできない生活に困る時期にピラミッドを作らせて、報酬として食料やワインが提供したということです

 

 前21~前18世紀は中王国になります。都はテーベです。馬と戦車を使用する軍事力が高いアジア系のヒクソスからの攻撃に悩んでいました。

 

 その後、ヒクソスを追い出して出来た国は新王国(前16~前11世紀)です。当時アモン=ラー信仰が盛んでした。アモン神は都テーベの守護神です。そして、しだいに神の声を聞く役職であるアモンの神官が政治介入を始めます。そこで、アメンホテプ4世(画像)はこの政治介入を排除するために唯一神アトンの信仰を強制して、神を変えます。

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 また、アモンはテーベの守護神であるため、都をテル=エル=アマルナへ遷都します。さらに、アメンホテプ4世のアメンはアモン、ホテプは崇拝という意味であるため、名前をイクナートンを改称します。アトンに愛されるという意味です。

 

 宗教

 古代エジプト人は人が死ぬとその魂は死と復活の神であるオシリスのところにいくとされています。そして、復活するかの審判を受けます。その時に備えて生前の行いが書いてある死者の書(画像)を副葬されます。また、神はオシリスだけでなく、アモン、アトンなどがいるため、エジプト文明メソポタミア文明と同じく多神教です。

 

 オシリスの審判の後に魂は戻ってきますが、体がないと復活できません。そのため、ミイラが作製されます。そして、王のミイラは盗まれてはいけないので、スフィンクス(→画像)が隣に置かれした。

 

文化

 文字は2つ使われていました。神殿・ 墓などに刻まれた神聖文字(ヒエログリフ)と神聖文字を簡略化して、公文書や宗教書に使われた民用文字(デモティック)が使われていました。主にパピルスに記されていました。paperの語源ですね。

 

 ちなみにこの文字は解読が進んでいます。神聖文字が書いてあるロゼッタ=ストーン(画像)は1822年にフランスのシャンポリオンによって解読されました。ちなみにロゼッタ=ストーンは上から神聖文字、民用文字、ギリシア文字の3種類が刻まれていました。

 

技術

  10を1つの単位とする十進法が発明されました。10ミリが1センチのようなものが十進法になりますね。

 

  1年を365日とする太陽暦ができました。エジプトはナイル川が重要なのでしたね。ナイル川は7月ごろに増水しますが、いつ氾濫が起こるか知るために暦が発達しました。当時の人は氾濫のサイクルと恒星シリウスの位置を参考に、1年が約365日だと徐々にわかっていったのです。

 

  また、自由で写実的なアマルナ美術が発達しました。写実的とは、ありのままを描くということです。

 

 これは、テーベからアマルナに遷都したことにより、今までの伝統から逸脱した文化が生まれたのです。エジプトの壁画の絵といえば、線のような横を向いている人を思い浮かべるかもしれませんが、アマルナ美術はよりリアルになっているのがわかると思います。

 

流れ図

 

エジプト王国

古王国 / メンフィス

↓ クフ王

中王国 / テーベ

↓  ←  ヒクソス

新王国 / テル=エル=アマルナ

↓ アメンホテプ4世 / 唯一神アトンの信仰を強制

 

末期

 クシュ王国 ← アクスム

 カルタゴ

 アッシリアに従属

サイス朝エジプト

アケメネス朝ペルシア

 

今日はここまで。ではまた次回。

 

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