今日はアケメネス朝ペルシア。つながりが見えづらくなるのが世界史という教科の特性。
世界史チャレンジ。大学受験や教養、旅行の前になど。毎日少しずつ知っていこう。
青い文字をクリックすると関連した画像検索や記事に飛びます。絵や写真だったり、続きの話、前の話です。気になったらさっと見てみましょう。
前の記事
あらすじ
イランにできた国は交易で栄えました。最初に出来た国はパルティアで次はササン朝です。これらの国は、大国から狙われ、東西と常に戦い続けました。
概観
今日は赤で囲ったところの歴史をやります。
地図
まずは、地図から確認しましょう。赤で囲まれた箇所が今日やる舞台です。ここがイラン高原になります。
イラン高原は、中央アジア、メソポタミア、エジプトといった地域と接続しやすいため、貿易を管理する国が出来ていきます。つまり、東と西を結ぶ重要な貿易地点だったのです。
パルティア
前3世紀ごろアルサケスがパルティア(前3世紀~後3世紀)を建国します。中国名は安息です。都はクテシフォンです。赤で囲まれた箇所がパルティアの場所です。
東西貿易の要衝として繁栄しました。そのため、大国はこの土地を狙っています。ローマとの抗争で衰退していき、224年にササン朝よって滅亡しました。
ササン朝
次にイランを支配したのは、ササン朝です。ササン朝(3世紀~7世紀)を建国したのは、アルダシール1世です。パルティアを倒して建国します。都はクテシフォンでパルティアと同じです。領土も同じです。
パルティアもササン朝も貿易国なのでさまざまな人がやってきます。そのため、国家としての団結性が薄いのです。これを解説するため、アルダシール1世はゾロアスター教を国教化することで国を団結させます。(前←ゾロアスター教とは)
そして、シャープール1世(241~272頃)の時代には、242年に東のクシャーナ朝を破ります。さらに西のローマの軍人皇帝ウァレリアヌスを捕縛しました。このように東西と戦い続けないといけなかったのです。
次のホスロー1世は東では、突厥と同盟を結びエフタルを滅ぼします。西では、東ローマ皇帝ユスティニアヌス大帝と抗争し、アンティオキアを占領しました。この時がササン朝の最盛期です。(後→突厥)
ところが、ニハーヴァンドの戦い(642)で突如現れたイスラム勢力に敗北して、651年に滅亡してしまいます。
宗教
ササン朝時代にはマニ教という宗教ができます。創始者はマニです。善悪二元論、禁欲主義、偶像否定が特徴で、ゾロアスター教にキリスト教、仏教を融合させて作ったのがマニ教です。しかし、ササン朝の国教はゾロアスター教のため弾圧、迫害され各地へ散らばっていきます。(前←ゾロアスター教とは)
美術
ササン朝ではササン朝美術(→画像)が発達します。銀器、ガラス器、織物などがあります。交易路を通じて、中国や日本にも伝わります。
略図
メソポタミアらへんは
アケメネス朝ペルシア
↓ キュロス2世
↓ ダレイオス1世
↓ ← マケドニアのアレクサンドロス大王
セレウコス朝シリア
↓
↓
ササン朝ペルシア
↓ シャープル1世
↓ ホスロー1世
↓ エルタルを突厥と結んで滅ぼす
↓ ニハーヴァントの戦いで
イスラーム帝国
↓
今日はここまで!ではまた次回!