今日から中国史。駆け抜けていこう。
三千年の歴史が学べる世界史はすごいですね。
世界史チャレンジ。大学受験や教養、旅行の前になど。毎日少しずつ知っていこう。
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あらすじ
中国には黄河文明と仰韶文化が生まれました。そのうち小さな村が結束して殷という王朝が出来ました。その後、王朝は周になります。この周は異民族の侵略を受け、東西に分裂し、春秋戦国時代になりました。
地図
まずは、今日からやる中国の場所を地図で確認しましょう。赤で囲まれた箇所がこれから学ぶ歴史の舞台です。
文明
中国には2つの文明が栄えました。1つ目は黄河の流域に形成された黄河文明です。そして、まず黄河文明の中で有名なのが仰韶文化(ぎょうしょう)です。アワやキビなどの雑穀を栽培して生活していました。さらにこれらを貯蔵するために彩文土器(彩陶)(→画像)が作られていました。
黄河文明の後半は竜山文化になります。薄手の土器である黒陶や厚手の粗製土器である灰陶が作られました。そして、末期になると、集落である邑が形成されていきます。
2つ目の文明は、長江の流域にできた長江文明です。有名な遺跡は河姆渡遺跡(かぼと)です。黄河文明と違い稲作を中心に生活していました。
王朝
前16世紀に殷(前16~前11世紀頃)という王朝が出来ます。一応、その前に伝説上の王朝である夏がありました。しかし、まだ証明されていません。
後期の都遺跡の殷墟(いんきょ)から出土したものから当時の政治の様子がわかります。たとえば、大きい邑の商(しょう)をリーダーとした連合国家でした。
また、人々をまとめるために占いに基づく神権政治を行いました。そこで使われていたのが甲骨文字(→画像)です。これは漢字の母体になった文字とされています。
殷の最後は、新しく出来た国の周により敗れて滅亡しました。中国では、このように、王朝が変わることを易姓革命(えきせいかくめい)といいます。
西周
前11世紀に西周(せいしゅう)(前11世紀~前770)が出来ます。都は鎬京(こうけい)で、渭水盆地(いすい)に建国されます。オレンジで囲まれたのが西周の領土です。ここから領土は広がっていきました。
統治の制度は封建制を用います。王が一族などに封土(ほうど)を与えて、世襲の諸侯(しょこう)とし、そこの領土を任せるといったものです。封土は領土のことですね。さらに宋族内で守るべき規範の宋法(そうほう)を定めました。宋族とは、父方の一族のことです。
前770年、異民族の侵入で都が陥落します。そのため、王族は東へ逃げ出します。この前を西周、この後を東周(とうしゅう)といいます。このことにより、諸侯たちは言うことを聞かなくなっていきました。
東周
東周の都は洛邑(らくゆう)になりました。前256年まで続きます。
そして、前半が春秋時代(前770~前403)です。有力諸侯は自らを覇者を称して、「尊王攘夷」を掲げます。王様を助けて、異民を打ち払えという意味です。中でも斉の桓公や晋の文公が有名でした。
その後、戦国時代(前403~前221)に入っていきます。前403年に晋が下克上により分裂しました。韓、魏、趙に分かれます。ここから実力主義と下克上の時代になりました。よって、周王室の権威はあってないようなものになります。
この戦国時代に活躍した英雄は戦国の七雄と呼ばれます。韓、魏、趙、秦、楚、斉、燕の7つです。
社会
春秋・戦国時代には、牛耕や鉄製農具の普及します。これにより、農業生産力が向上し、耕作地が拡大します。よって、余剰生産物が発生しました。
しかし、余って取れたものは腐ってしまいます。そのため、保存できる形に交換する必要があります。貨幣が登場しました。それを青銅の貨幣に交換していました。代表的な貨幣は、刀銭(とうせん)、布銭(ふせん)、円銭(えんせん)、蟻鼻銭(ぎびせん)があります。
略図
仰韶文化
↓
竜山文化
↓
夏
↓
殷
↓
↓
春秋
↓
戦国
今日はここまで。ではまた次回!