【教養のための世界史】 イスラーム世界の成立

今日から新しい地域。イスラム史です。最初のほうはいいんですけど、分裂したあとが本当に複雑で把握するだけで大変。さて地図を確認。

世界史チャレンジ。大学受験や教養、旅行の前になど。毎日少しずつ知っていこう。

 

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あらすじ

 アラビア半島は新しい東西貿易の中継地点として栄えます。その中で栄えた町メッカで生まれたのがムハンマドです。彼がイスラーム教を作りました。イスラーム教が広がるとともにアラビア半島を征服していきます。

 

 彼の死後、正統カリフ時代が続きました。ジハードも行われ領土は拡大していきます。次にウマイヤ朝ができますが、イスラーム教に対して不平等だったため、不満が出てきました。そして、代わったのがアッバース朝です。安定した政治でしたが、領土が大きすぎたために分裂していきました。

 

 

地図

 まずは、地図で確認しましょう。今日の舞台は赤で囲った箇所。アラビア半島です。

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 イスラーム

 アラビア半島の話です。当時ササン朝ビザンツ帝国は対立していました。そのため、東西貿易路が遮断され、そこらへんの地域の治安が悪化します。商人たちは、安全のため、アラビア半島を通って行くようになりました。これが理由で、アラビア半島は、新しい東西貿易の中継地点になっていきます。

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 中でもメッカという地域が繁栄しました。そこではクライシュ族という大商人が支配しています。また、当時は多神教を信仰していたので、お互いに助け合いの精神がありませんでした。これらが理由で、社会矛盾や貧富の差が拡大していきます。

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 このメッカで生まれたのがムハンマド(570~632)です。彼はクライシュ族ハーシム家の人です。幼い時に、親を亡くして孤児になりますが、東西貿易で商人として活躍します。

 

 そんなムハンマドメッカの郊外の洞窟で瞑想中に神の啓示をうけます。そこで、イスラームを創始しました。しかし、最初はうまくいきません。メッカで迫害をうけます。そのため、メディナへ移住します。これをヒジュラといいます。この622年イスラーム暦の元年としています。

 

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 メディナという街に移ったムハンマドイスラーム共同体のウンマを作ります。国のようなものです。そして、徐々に信者をつけ、力をつけたムハンマドは、630年メッカを制服し、アラビア半島を徐々に統一しました。その2年後、メディナで病死してしまいます。

 

 では、イスラーム教についてもう少し見ていきましょう。イスラームとは神への絶対的服従という意味です。また、イスラーム教徒のことをムスリムといいました。そして、信者はみな平等です。この信者を助けてくれる神は唯一神アッラーです。

 

   このアッラーの声を聞けたのがムハンマドです。そのため、「最終にして最高の預言者」といわれました。さらに、偶像崇拝、聖者崇拝を禁止しています。アッラーを絵や像にすることは禁止されていました。また、イスラーム教の教えが書いてある教典『コーラン』があるため、聖職者は存在しませんでした。

 

 イスラム教の義務行為のことを六信五行といいます。五行の中には、喜捨というものがあります。貧しい人へのほどこしです。

 

 六信・・・神、天使、啓典、預言者、来世、天命

 五行・・・信仰告白、礼拝、巡礼、喜捨、断食

 

 聖地メッカにはカーバ神殿(画像)があります。第2の聖地はメディナです。第3の聖地はイェルサレムです。

 

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正統カリフ時代

 632年から正統カリフ時代(632~661)になります。カリフとは代理人という意味です。ムハンマドの後継者のことです。ムハンマドのような宗教的な指導権は持ちません。アッラーの声を聞けるのはムハンマドだけですから。

 

 最初のカリフはアブー=バクルです。それから、ウマル、ウスマーン、アリーと変わっていきます。この4人をまとめて正統カリフといいます。信者の選挙で選んだので正統なのです。

 

 この時代にはジハードが行われます。聖戦という意味です。神のため自己を犠牲にして戦うのです。戦うことが信仰の1つなのでイスラーム教徒は強いのです。戦って死ぬとアッラーのもとへ行けるので、死ぬことが怖くありません。

 

 642年、ニハーヴァンドの戦いササン朝ペルシア軍を破り、イラク、イランを奪います。さらに、ビザンツ帝国からエジプト、シリアを奪います。このように急速に領土が広がっていきます。赤で囲まれたのが領土です。そして、征服した各地にミスルという軍営都市を作りました。

 

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ウマイヤ朝 

 正統カリフ時代の後に始まるのがウマイヤ朝(661~750)です。都はダマスクスで、ムアーウィヤが建国します。彼はウマイヤ家の出身で、無理やりカリフの地位につくと、その地位を自分の子どもに渡していきました。そのため、正統カリフ時代ではなく、ウマイヤ朝という言い方をします。

 

 ウマイヤ朝の時代には、711年に西ゴート王国を征服し、イベリア半島を支配します。さらに、トゥール・ポワティエ間の戦いでヨーロッパの国々と戦いました。このようにジハードを展開していました。そのため、さらに領土が拡大(赤で囲まれた部分)していきます。しかし問題もありました。

 

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 それは、ムスリム間で不平等だったことです。アラブ人には免税特権があましたが、非アラブ人は宗教に関係なく、ジズヤハラージュを課税しました。ジズヤ人頭税のことです。非ムスリムに対して課税されているものですが、宗教に関係なく課税されたということです。ハラージュは地税のことです。

 

アッバース朝

 アルー=アルアッバースバグダードを都にして、アッバース朝(750~1258)を建国します。ウマイヤ朝の支配に苦しんでいる人を味方につけて建国しました。

 

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 751年に、タラス河畔の戦いがありました。そこで唐の軍に勝利します。そのときに製紙法が伝わりました。

 

 全盛期は、ハールーン=アッラシードの時です。そして、アッバース朝アラブ帝国からイスラーム帝国に変わりました。全ムスリムへはハラージュのみが課されます。一方、非ムスリムへはジズヤハラージュが課されました。イスラーム教徒に対しては平等に扱われるようになったのです。

 

 アッバース朝は安定していましたが、領土が大きすぎました。そのため、カリフ1人で管理をするのが難しくなってきます。すると、徐々に、軍隊の指令官、総督であるアミールが各地で自立化していきました。そして、領土が小さくなっていき、モンゴルのフラグによって、滅ぼされてしまいました。

 

 

略図

アルサケス朝パルティア

ササン朝

ウマイヤ朝

アッバース朝

 

今日はここまで。ではまた次回!

 

 

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