【教養のための世界史】 イスラーム世界の分裂

今日はイスラーム世界の分裂。分裂しないでほしい。地図をたくさん確認しなければ。

 世界史チャレンジ。大学受験や教養、旅行の前になど。毎日少しずつ知っていこう。

 

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青い文字をクリックすると関連した画像検索や記事に飛びます。絵や写真だったり、続きの話、前の話です。気になったらさっと見てみましょう。

 

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あらすじ

 この地域では様々な国が生まれてた消えてを繰り返していきます。

 

 イベリア半島では、後ウマイヤ朝 → ナスル朝

 

 北アフリカマグリブ地方では、ムラービト朝 → ムワッヒド朝

 

 エジプトでは、ファーティマ朝 → アイユーブ朝 → マムルーク朝

 

 中央アジアでは サーマーン朝 → カラハン朝 → 西遼 → チャガタイ=ハン国

 

 西アジアでは、ブワイフ朝 → セルジューク朝 → ホラズム=シャー朝 → イル=ハン国 

 

 アフガニスタンでは、ガズナ朝 → ゴール朝

 

 北インドでは、デリー=スルタン朝(奴隷王朝 → ハルジー朝 → トゥグリク朝 → サイイド朝 → ロディー朝)

 

 このように国名を覚えていきます。

地図

 まずは今日やる場所を地図で確認しましょう。だいたい赤で囲まれた箇所が舞台になります。

 

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イベリア半島からマグリブ地方

 赤で囲まれたのがイベリア半島です。青で囲まれたのがマグリブ地方です。ここの話を見ていきます。

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 まずは、後ウマイヤ朝(756~1031)です。都はコルドバです。滅ぼされたウマイヤ朝の人たちが作った国です。

 

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    その後、ベルベル人によってムラービト朝(1056~1147)が建国されました。首都はマラケシュです。

 

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 このムラービト朝を滅ぼしてムワッヒド朝(1130~1265)が出来ます。ムラービトと同じベルベル人の王朝です。領土も首都もムラービト朝と変わりません。

 

 最後の王朝はナスル朝です。都はグラナダです。このグラナダにはアルハンブラ宮殿(→画像)があります。

 

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エジプト

 地図の確認からです。エジプトはアフリカにあります。この赤で囲まれた箇所です。

 

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 まずは、ファーティマ朝(909~1171)です。シーア派の王朝で、首都はカイロです。。シーア派とは、正統カリフの4番目アリーとその子孫のみが正統な後継者と認める考えの人たちです。ここでは、イスラム世界最古の大学であるアズハル学院を作りました。

 

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 次は、サラディンによって、アイユーブ朝(1169~1250)が建国しました。

 

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 その後、マムルーク朝が出来ます。カーリミー商人を保護したことも知られます。彼らはダウ船を使っていました。領土はアイユーブ朝と同じくらいです。

 

中央アジア

 中央アジアの場所の確認です。赤で囲まれた箇所が中央アジアです。ここはヨーロッパ方面と中国方面を接続する大切な場所でした。

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 まずは、サーマーン朝(875~999)です。東西貿易で繁栄しました。また、多くのトルコ人奴隷を西アジアに輸出して利益を得ていました。

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 ところが、やがて、トルコ人奴隷に裏切られ王朝を乗っ取られます。それがカラ=ハン朝(940~1132)です。最初のトルコ系イスラーム王朝です。ここからトルコ人の王朝が出てくるようになります。

 

 カラハン朝を滅ぼして、西遼(1132~1211)が出てきます。耶律大石(やりつたいせき)が建国しました。漢字でわかるように中国方面にいた人です。そして、最終的に中央アジアを支配したのがチャガタイ=ハン国でした。

  

西アジア(イラン、イラク)

 西アジアの場所を確認しましょう。青で囲まれた箇所が西アジアになります。

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 まず、ブワイフ朝です。シーア派を信仰していた王朝です。このブワイフ朝は、バグダードに入城し、アッバース朝のカリフに圧力をかけます。そして、大アミールの称号を得て、軍事・行政権を全面的に獲得します。

 

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  次は、セルジューク朝(1038~1194)です。トゥグリル=ベクが建国しました。この王朝はもともと中央アジアにありました。それから西アジアに進出して、バグダードに入城し、ブワイフ朝を滅ぼします。アッバース朝のカリフを救済しました。そのため、セルジューク朝アッバース朝のカリフからスルタンの称号をもらいます。

 

 このセルジューク朝は、ビザンツ帝国を倒し、小アジアイェルサレムを奪いました。この後、ビザンツ帝国は、ローマ教会に助けを求めます。

 

 さらに、ブワイフ朝で始まったイクター制を整備します。軍人や官僚に対し土地の管理と徴税権を与える制度です。

 

 次は、ホラズム=シャー朝(1077~1231)です。アフガニスタン方面へと領土を拡大していきます。

 

 ついに、アッバース朝を滅ぼしたのが、イル=ハン国です。建国者はフラグです。全盛期はガザン=ハンのときです。彼の宰相ラシード=アッディーンは『集史』を書きました。

 

北インドからアフガニスタン

    地図の確認からです。このオレンジの箇所のお話です。

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 まずは、ガズナ朝です。インドに何度も侵入し、ヒンドゥー教の寺院を破壊していきます。次のゴール朝イスラームを浸透させていきます。

 

 そして、次は、デリー=スルタン朝です。都はデリーです。デリー=スルタン朝は、5つの王朝をまとめたものです。最初は、奴隷王朝です。建国者のアイバクはもとは奴隷でした。インド最古の大モスクの塔であるクトゥブ=ミナールと建設しました。奴隷王朝の後は、ハルジー朝トゥグルク朝サイイド朝ロディー朝と王朝が移っていきます。

 

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略図

イベリア半島

西ゴート王国

ウマイヤ朝

後ウマイヤ朝

↓            ↓

カスティリャ / アラゴン ムラービト朝

            ↓

            ムワッヒド朝

            ↓

↓           ナスル

            ↓ グラナダ陥落

スペイン王国

↓ 

ハプスブルク

 

○エジプト

アッバース朝

ファーティマ朝

アイユーブ朝

マムルーク朝

オスマン帝国

 

○イラン・イラク

アッバース朝

ブワイフ朝

セルジューク朝

イルハン

ティムール朝

 

中央アジア

アッバース朝

サーマーン朝

カラハン朝

ホラズム朝

西遼

チャガタイハン国  / ティムール朝

↓ 三ハン国     ↓

↓        サファヴィー朝ペルシア

 

北インド

ガズナ朝

ゴール朝

デリースルタン朝

ムガル帝国

 

今日はここまで。ではまた次回!

 

 

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