今日は封建社会の成立。日本史でも封建という言葉を習った気がする。
世界史チャレンジ。大学受験や教養、旅行の前になど。毎日少しずつ知っていこう。
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あらすじ
フランク王国が分裂するころに、ノルマン人が大移動を開始します。各地に建国していきました。
こうした混乱の最中、国王、諸侯、騎士は自らを守るために封建制度が成立していきます。そして、それ守りたいものは荘園です。そこでは農奴が働いていました。彼らはさまざまな税が課されていたため、外に出れません。しだいに、唯一の情報発信源の教会の力が強くなっていきました。
地図
まずは地図で今日の舞台を確認しましょう。この赤で囲まれた箇所です。
ノルマン人
ゲルマン人が大移動の後に、また、民族が移動しました。ノルマン人です。北のゲルマン人という意味です。別名はヴァイキングです。スカンディナヴィア半島、ユトランド半島に住んでいましたが、8世紀ぐらいからヨーロッパの気温が下がり始め、移動を始めたのです。
彼らは、スカンディナヴィア半島、ユトランド半島にデンマーク王国、ノルウェー王国、スウェーデン王国を建国しました。
ロシア方面では、ノヴゴロド国(862)をリューリクがノルマン人の一派ルーシを率いて建国します。これがロシアの起源です。そして、ノヴゴロド国の将軍がさらに南に下って、ドニエプル川流域にキエフ公国(882)を建国しました。
北フランス方面では、ロロがノルマンディー公国を建国します。
イギリス方面では、すでにイングランド王国が存在していました。そのため、抵抗していきます。イングランドのアルフレッド大王はノルマン人の一派デーン人を撃退します。しかし、アルフレッド大王の死後、デーン人を率いたクヌートがイギリス、デンマーク、ノルウェーを支配してしまいました。
封建社会
混乱の最中、自らを守るために、封建制度が生まれました。ローマからあった恩貸地制度(おんたいち)と古ゲルマンの従士制が合わさったものです。恩貸地制度は、自分の土地を力の強い人に一旦預けて改めてそれを借りるものです。
封建制度を詳しくみていきましょう。まず、主君は家臣に封土(領地)を与えます。それに対して、家臣は主君に対し軍役の義務を負います。土地をあげる代わりに、軍役の義務の負うのです。これは双務的契約です。この2つはセットで守らなければならないということです。
この封建制度を結ぶのは、国王、諸侯、騎士でした。諸侯の代表者が国王なので力が格別強いわけではありません。そのため、国王、諸侯、騎士はそれぞれに契約を結んでいました。
荘園
この封建制度で守りたい土地の話になります。この領主の土地を荘園といいました。荘園内の土地は2種類存在します。領主が直接経営する土地である領主直営地と領主が農民に貸し与えた土地である農民保有地です。
また、この荘園には、不輸不入権が認められています。国王の課税権や裁判権などの行使を領主が拒否する権利です。さらに、領主が農民に対して行使した領主裁判権もありました。
領主に隷属する農民、小作人を農奴と呼びます。彼らは、領主直営地をボランティアで耕作します。賦役です。そこから帰って来て自分の畑を耕します。しかし、自分の畑で取れたものは全部自分のものではありません。一部を領主に納めます。貢納です。さらに教会に対しても納めます。十分の一税です。また、結婚で領外に出る場合にも納めます。結婚税です。父親が死んで土地を相続する場合も納めます。死亡税です。
これだけ税を払わなければいけないため、外に出られません。閉ざされた世界だったのです。そこで唯一の情報発信は教会だけでした。そのため、教会の言うことは疑いもなく信じるようになります。よって、教会の影響力がどんどん大きくなっていきました。
略図
ノルマン人
↓
↓
クヌート
↓
↓
○北欧
ノルマン人
↓
ノルマン人
↓
○ローマカトリック
↓
↓ レオン3世 ↓
↓ ピピンの寄進 ↓ レオ三世
↓
↓
インノケンティウス3世
今日はここまで!ではまた次回!