今日は封建社会の崩壊と教皇権の衰退です。個々の流れはわかるけれど、全体の流れを追うのは難しいですよね。
世界史チャレンジ。大学受験や教養、旅行の前になど。毎日少しずつ知っていこう。
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あらすじ
貨幣の登場やペストなどが原因で農奴解放が進みます。各地で反乱が起きました。荘園制は崩壊していきます。
また教皇権が衰退し、皇帝の権威が上がっていきました。
地図
まずは、地図で今日の舞台を確認しましょう。赤で囲まれた部分の話です。
崩壊
十字軍の失敗により、諸侯が没落していきます。さらに、農業生産力の増大と余剰作物の売買のために貨幣経済が普及していきました。それに伴い、貨幣地代へ移行していきます。また、農民は農作物を直接市場などで販売しました。これにより領主への隷属性を弱めていきました。(前←封建社会の成立) (前←十字軍の話)
13世紀以降、農奴解放が進みます。死亡税や相続税などの撤廃や緩和が進展しました。あらゆる権利をお金で勝ち取っていったのです。
これにより、農民が経済的・人格的に解放され、自営農民へ発展していきました。そして、領主は次第に地主化してしまいました。大家みたいなものです。
14世紀半ば、黒死病(ペスト)が流行しました。これにより、人口の1/3がいなくなりました。そのため、領主は農民への待遇改善を迫られてしまいます。この結果、農民の解放が進み、領主の収入が減っていきました。
そして、困窮化した領主が封建的な諸権利を再び強化しようとしました。そのため、フランスでは、ジャックリーの乱、イギリスでは、ワット=タイラーの乱など農民反乱が各地で発生します。
ワット=タイラーの乱には思想的な指導者がいました。ジョン=ボールです。彼は「アダムが耕しイヴが紡いだとき、だれが貴族であったか」という言葉を残しました。これは領主制度を批判したものです。
衰退
荘園制は崩壊していきました。さらに鉄砲が登場し騎士が必要ではなくなります。そのため諸侯、騎士は生活が苦しくなります。すると彼らは、国王を頼るようになり、廷臣となります。国塔の宮廷に仕える家臣や官僚のことです。この関係からローマ教皇の力は徐々に下がっていきました。(前←ローマ=カトリック教会の発展)
仏王フィリップ4世は諸侯、騎士の生活を助けるために、聖職者へ課税を提案します。しかし、教皇ボニファティウス8世と対立しました。
そこで、フィリップ4世は三部会を開きます。聖職者、貴族、平民からなる身分制議会のことです。そこで国内の支持を得ました。
1303年、ローマ郊外でアナーニ事件が起こります。仏王は教皇をアナーニに幽閉します。その結果、後に解放されますが、憤死しました。
その後、教皇庁をアヴィニョンに強制移転させます。南フランスです。そして、仏王の監視下に置かれました。これを教皇のバビロン捕囚といいます。
最終的に、ローマやピサに教皇と名乗るものが出てきます。これにより、教皇が3人登場してしまいました。これを教会大分裂(大シスマ)といいます。
このように教会や教皇は混乱しているので、キリスト教を信じたければ、教皇より聖書を読むべきという動きが登場します。自分の住む町の人たちが聖書を自分で読めるように、ウィクリフは聖書の英訳を主張し、フスは聖書をチョコ語訳しました。
1414年、コンスタンツ公会議で教皇庁をローマに置き、教会大分裂は収束します。さらに、ウィクリフの説を異端とし、またフスを異端として焚刑しました。
略図
イギリス
↓ フランス
エグバート ノルマンディー公国 / ユーグカペー
↓ ↓
↓
プランタジネット朝 ユーグカペー
↓ ジョン王 ↓ フィリップ2世
↓ ヘンリー3世 ↓ ルイ9世
↓ エドワード1世 ↓ フィリップ4世
↓ エドワード3世 ↓ アナーニ事件 / バビロン捕囚
↓
↓ ワットタイラーの乱 ↓ ↓ ジャックリーの乱
↓ (イタリア教皇領)
↓ 大シスマ
↓ ウィクリフ
↓ コンスタンツ公会議 → フス戦争
今日はここまで。ではまた次回!