【教養のための世界史】フランスの主権国家体制

今日は、フランスとドイツの主権国家体制の成立。ルイ14世ですね。ルイ1世や2世も調べたら出てくるのでしょうか。

 世界史チャレンジ。大学受験や教養、旅行の前になど。毎日少しずつ知っていこう。

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フランス

 フランスはユグノー戦争の後、絶対王政が始まります。ユグノー戦争の混乱で断絶したフランス王家に代わって、アンリ4世ブルボン朝を開きます。

 

 フランスはカトリックの国でしたが、彼はユグノーでした。そのため、統治するために、ユグノーからカトリックへ改宗したのです。そして、ナントの王令を発布し、ユグノー戦争を終結しました。その後、彼は海外へ進出していきます。

 

 まず、フランス東インド会社を設立します。しかし、利益を上げられませんでした。次に、カナダの拠点としてケベックを建設をしました。

 

 彼の次は、ルイ13世です。彼は三部会招集を停止させてします。さらに、彼は宰相をリシュシューにし、王権を強化させました。

 

 ルイ14世の時代になります。彼は若かったので、宰相のマザランが政治をしていました。それにより、さらに国王の力が強くなっていきました。しかし、これに反発し、高等法院や貴族を中心にフロンドの乱が起こりましが、鎮圧されます。

 

 マザランの死後、彼は自分で政治を執るようになります。「朕は国家なり」というセリフを残しています。また、彼には優秀な部下がいました。進学者のボシュエ、財務総監のコルベールなどです。コルベール重商主義を取ります。フランス東インド会社を再建したり、特権マニュファクチュアを設立しました。

 

  さらに、ヴェルサイユ宮殿を完成させ、ミシシッピ川州域にルイジアナを建設をしました。

 

 そして、1605年にナントの王令廃止をしました。カトリック以外は認めないというものです。そのため、国内にいたユグノーは国外へ逃げていきます。ユグノーカルヴァン派で、営利活動を良しとするので、商業者に多いのです。よって、フランス産業が衰退していきます。

 

 ルイ14世の時代には、4つの戦争がありました。彼は、途中から自然国境を採用するようになります。スペインとの国境線はピレネー山脈に、イギリスとの国境線はドーバー海峡に、東側はアルプス山脈ライン川まで国境だと考えるようになります。そのため、ライン川まで領土を拡大しようと画策します。そこでそれで起こったのが、南ネーデルラント継承戦争オランダ戦争ファルツ戦争です。

 

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 そして、ひどい結果になったのが、スペイン継承戦争です。当時スペイン=ハプスブルク家が断絶してしまいました。すると、ルイ14世は孫のフィリップが王位を継承し、フェリペ5世として即位し、スペイン=ブルボン朝が始まります。このルイ14世のやり方に周りの国が反発して起こったのがスペイン継承戦争です。

 

 1713年、ユトレヒト条約でフェリペ5世の即位を承認させます。しかし、フランス・スペインの合併は永久に禁止になりました。これにより領土の拡大は失敗に終わり、度重なる戦費で財政難になっていきました。ルイ14世の後は絶対王政が衰退していきます。そしてフランス革命につながっていきました。

 

 フランスもイギリスと同じくインドへ進出します。ルイ14世の時代です。東インド会社を再建するときです。ポンディシェリシャンデルナゴルを獲得し、インドの拠点としました。

 

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 アメリカ大陸にも進出していきます。ケベックルイジアナを建設しました。

 

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 この後、イギリスとフランスはインドの植民地をめぐって戦争をしていきます。それを、第2次英仏百年戦争といいます。まず、アン女王戦争が起こります。これはヨーロッパのスペイン継承戦争のときに、北米に持ち込んだ戦争です。勝ったのは、イギリスでした。ユトレヒト条約でイギリスが領土を多く獲得しました。アカディアジブラルタルニューファンドランドハドソン湾地方、ミノルカ島(橙)です。

 

 次は、フレンチ=インディアン戦争です。これはヨーロッパの七年戦争のときに、北米に持ち込んだ戦争です。パリ条約でイギリスはさらに領土を広げます。カナダ、ミシシッピ川以東のルイジアナ、フロリダ(青)です。

 

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 この戦争が戦われているころ、インドでもイギリス、フランスは戦っていました。カーナティック戦争プラッシーの戦いです。プラッシーの戦いでは、イギリスの書記長フライヴの活躍により、イギリスが勝利しました。

  

 

略図

 

○フランス

ヴァロワ朝

↓ シャルル9世

ユグノー戦争

ブルボン朝

↓ アンリ4世

↓ ルイ13世

三十年戦争

ルイ14世

第一共和政

 

○ドイツ

ハプスブルク

↓ アウクスブルグの和議

ウェストファリア条約

プロイセン