【教養のための世界史】アメリカの帝国主義と世界分割

今日は、アメリカ帝国主義と列強の展開。くるぞ。

世界史チャレンジ。大学受験や教養、旅行の前になど。毎日少しずつ知っていこう。

 

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青い文字をクリックすると関連した画像検索や記事に飛びます。絵や写真だったり、続きの話、前の話です。気になったらさっと見てみましょう。

 

 

イギリス、フランス、ドイツもまだまだ土地をゲット。

 

カリブ海政策

 1890年代、アメリカは世界第一位の工業生産数を誇ります。しかし、良いものだけではありませんでした。それは一部の権力者やお金持ちが経済を独占したからです。一般の市民たちは失業してしまうこともありました。

 

 やがて、彼らは経済だけでなく、政治的にも発言権を持つようになっていきます。アメリカは平等の国です。そうやって独立を達成しました。そこで、これに対処するために、革新主義を採用し改革を進めます。政治・経済の独占を打破していったのです。

 

 工業生産数が1位なので、市場が必要です。そのため、第1回パン=アメリカ会議中南米の国を集めて、政治的・経済的な協力関係を築くように迫っていきました。そして、1890年、フロンティアの消滅が宣言されます。白人入植者が国内全域を網羅したわけです。これ以上国内に市場がありません。そこで、アメリカは新しい市場を求めて、外へ出て行くようになりました。これをカリブ海政策といいます。

 

 マッキンリー大統領は、まず近場にあるカリブ海に進出していきます。当時スペイン領だったキューバ独立運動が発生しました。スペインの軍隊は鎮圧しようと試みます。すると、ハバナ湾で米艦メイン号を爆撃する事件が起こりました。そこで、アメリカ=スペイン戦争が起こりました。この戦争は未だにアメリカの自作自演だったのではないかという話も聞こえてきます。この結果、アメリカが勝利し、領土変更が行われます。

 

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 アメリカはフィリピン、グアム、プエルトリコを獲得し、キューバ保護国を取り決めました。そして、太平洋の進出も試みます。ハワイ併合しました。その後、中国を狙って、ジョン=ヘイ門戸開放宣言を発表します。門戸開放、機会均等、領土保全を掲げました。

 

 次の大統領はセオドア=ローズヴェルトです。彼の外交方針は棍棒外交といいます。パナマをコロンビアから切り離し、パナマ運河を建設しました。カリブ海と太平洋を接続するために運河を建設したのです。

 

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 次はウッドロー=ウィルソン大統領です。国内向けには、弱者救済のために新しい自由を提唱します。対外的には宣教師外交を提唱しました。彼はアメリカと同じように民主政を迎えれば、アメリカのように発展できると考えたのです。そこで、アメリカ風の政治を世界に伝えることは義務だと考えました。これが世界へ口出しする口実になっていきます。今でもアメリカは独裁政治を嫌いますね。

 

オセアニア分割

 オセアニアは、オーストラリアやニュージーランドらへんのことです。そこに2人の探検家が探索をしました。まず、オセアニアに。17世紀にオランダのタスマンタスマニアニュージーランドに到達します。18世紀には、イギリスのクックタヒチニュージーランド・オーストラリアなどを探検しました。クックは侵入者と勘違いされ殺害されてしまいました。

 

 しかし、クックはオーストラリアをイギリス領だと宣言したため、イギリスはオーストラリアに進出していくことになります。

 

 オーストラリアには先住民のアボリジニーが住んでいましたが、進出を強めていきます。1850年代には金鉱が発見され、多くの移民が殺到しました。最終的には、イギリスの自治領であるオーストラリア連邦が成立しました。

 

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 オーストラリア以外にもニュージーランドにもイギリスは進出していきます。先住民はマオリです。彼らの文化を抑圧しながら支配を強め、最終的に、イギリス帝国内の自治領にしました。

 

 さらに、他のヨーロッパの国々も南洋諸島にも進出していきます。ニューギニアは西部をオランダが、東部は南部をイギリスと北部ドイツで分割で占領しました。

 

 また、イギリスは、フィジー、トンガ、ソロモン諸島(ドイツを分割)などを領有しました。フランスは、ニューカレドニアタヒチなどを領有しました。

 

 ドイツは、ビスマルク諸島、マリアナ諸島マーシャル諸島などを領有しました。

 

 アメリカは、フィリピン、グアム島、ハワイを領有しました。

 

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 ほんとだいたーいの勢力圏がこのような感じです。

ラテンアメリカ

 ラテンアメリカは19世紀多くの国々が独立を達成しました。しかし、独立後、イギリスの経済的な従属下に置かれることになりますが、メキシコだけ従属下から逃れようと改革していったのです。

 

 当時、メキシコ大統領はフアレスでした。初の先住民出身の大統領のため、自由主義革命と呼ばれます。そして、彼はインディオの権利獲得を目指しました。

 

 ところが、彼を快く思っていない保守派が抵抗します。これにフランスのナポレオン3世が干渉してきました。これをメキシコ内乱といいます。フアレス率いる民衆の抵抗もあり、ナポレオン3世を追い出すことに成功しました。

 

 しかし、フアレスの死後、ディアスが大統領になり、独裁政治を始めます。彼は、地主階級の特権を復活させました。先住民を切り捨てて、地主とくっつくようになったのです。

 

 さらに、彼はイギリス・アメリカから莫大なお金を借りてしまいました。そのため、イギリス・アメリカの支配下に置かれていきます。この状況に民衆は焦りました。

 

 そこで起こったのがメキシコ革命です。マデロ自由主義改革を掲げ、ディアス政権を打倒し、大統領に就任しました。しかし、彼は地主に気をつかって、土地の改革には消極的だったのです。

 

 これに対して、農民の代表者であるサパタ・ビリャは農民軍を率いて暴動を起こしました。政権は混乱し、マデロは殺害されてしまいました。後にサパタ・ビリャも殺害されてしまいます。血で血を洗う結果となったのでした。

 

 最終的に、1917年に憲法が制定されたことで、混乱は収まりを見せます。この憲法は民主的で土地改革、地下自然の国有化、政教分離、社会的権利の保障がうたわれました。

 

 しかし、次の大統領はこの憲法の実施に消極的で、憲法が出来たにも関わらず、民衆の不満は高まっていきました。

 

略図

アメリ

リンカーン

マッキンリー

↓  門戸開放宣言

セオドア=ローズベルト

↓  パナマ運河