今日は、第一次世界大戦後の欧米諸国です。大戦が終わると世界が動きますね。
世界史チャレンジ。大学受験や教養、旅行の前になど。毎日少しずつ知っていこう。
青い文字をクリックすると関連した画像検索や記事に飛びます。絵や写真だったり、続きの話、前の話です。気になったらさっと見てみましょう。
イギリス
イギリスでは社会主義勢力が徐々に伸びていきます。当時ウィンザー朝でした。これはハノーヴァー朝の呼び方が変わっただけです。ハノーヴァーはドイツ読みです。そこでウィンザー朝に名前が変わりました。
第一次世界大戦を勝利に導いたのはロイド=ジョージでした。彼は、戦争を遂行するために政党間の対立を超えた挙国一致内閣を作りました。そして、第4回選挙法改正で、21歳以上の男性、30歳以上の女性に選挙権を付与されました。これは女性が戦争中活躍したからですね。
この結果、選挙に行ける人の数が増えます。すると、戦後の復興を早くしてほしいという願いから社会主義勢力が次第に人気を伸ばします。
そのため、イギリスでは初の労働党内閣であるマクドナルド内閣が誕生しました。しかし、自由党と連立する形で政権を取りました。その後、自由党と喧嘩をしてしまったので1年も持ちませんでした。
その後も改革が進んで行きます。第5回選挙法改正です。21歳以上の男女普通選挙権が与えられました。また、第一次大戦後なのでイギリスはお金に余裕がありません。植民地を維持するのがとても難しい状況です。そこで、自治領にイギリス本国と同等の地位を与え、イギリス連邦と改称しました。そして、ウィストミンスター憲章でイギリス自治領の地位を法的に制定しました。
フランス
フランスは第一次世界大戦の被害の恨みの矛先にドイツへ当たっていきました。フランスはクレマンソー挙国一致内閣の時に、第一次世界大戦が終結します。ポワンカレ内閣のときには、ドイツが賠償金を支払わないのを理由に、ルール占領をしました。
これは様々な国から非難されます。これにより、対ドイツ協調外交に変わりました。左派連合政権のときには、ロカルノ条約を締結し、ポワンカレ内閣のときには不戦条約を締結しました。このようにヨーロッパの顔色を伺った外交を展開していったのです。
ドイツ
第一次大戦末期、ドイツではキール軍港の水兵反乱が起きました。これをきっかけに各地にレーテ(評議会)が出来ていきます。ロシアでは、ソヴィエト、ドイツではレーテと呼ばれたのです。このような革命の動きが全国へ広がり、皇帝ヴィルヘルム2世は亡命しました。そして、ドイツ共和国(ヴァイマル共和国)が成立し、政府がドイツ休戦協定を締結したのです。
この世界大戦が終結するころ、ロシアのような社会主義政権を作ろうとスパルタクス団が暴動を起こしました。カール=リーブクネヒトとローザ=ルクセンブルクが中心に結成された組織です。しかし、これは鎮圧されてしまいました。
この後、民主的な国家作りのために、ヴァイマル国民議会が開催されました。ここで、大統領をエーベルトにすることが決まります。そして、当時世界でもっとも民主的とうたわれたヴァイマル憲法が制定されました。主権在民、男女平等の普通選挙、労働者の団結権と団体交渉権の保障などが内容に書いてあります。このように民主的な改革が進んでいきますが、ある問題がありました。
ドイツはヴィルサイユ条約で賠償を規定しましたが、後に1320億金マルクに決定します。国家予算の何十年分で、かつ戦後で街は荒廃しています。これは当時のドイツが払える金額ではありませんでした。
すぐに支払うことができなかったドイツに怒ったのがフランスでした。これを理由に、フランスはドイツの大工業地帯であるルール地方を占領したのです。ドイツ政府は、ルール地方で働いている労働者に働かないでくれと呼びかけました。消極的抵抗といいます。
しかし、ルール地方が生産を停止すると、物の値段が上がるインフレーションが激化してしまいました。経済混乱を迎えるのです。
さらに、皇帝政治を復活させたい軍部のクーデターやドイツ共産党の武装蜂起が行われるなど、さらに混乱していきました。このままだと、ドイツはつぶれてしまいます。
まず、このインフレに対処するため、シュトレーゼマン大連合内閣は、レンテンマルクという新しい紙幣を発行し、インフレを抑えることに成功しました。シュトレーゼマンはこの改革が終わると内閣を解散します。そして、外務大臣になり、ロカルノ条約、不戦条約の締結、国際連盟の加入など、平和外交に力を尽くしました。
次に、経済混乱を助けたのがアメリカでした。ドーズ案を採択したのです。銀行家のドーズが考えたものです。
アメリカがドイツに対し、お金を貸して、そのお金を使って、ドイツの復興を行います。そして、ドイツは、イギリス・フランスに賠償金を支払っていきます。そのお金でイギリス・フランスは経済復興して、第一次世界大戦中に借りていたお金をアメリカに返します。お金が循環していますね。
ドイツはこれを受け入れたことで、フランスはルールから撤退しました。その後、ヤング案が採択され、賠償総額が減額されます。
しかし、世界恐慌がやってきてしまい、お金に余裕のなくなったアメリカは、フーヴァー=モラトリアムを発表し、各国の賠償支払い、対米戦債支払いを一ヵ年停止しました。ドーズ案の形を1年止めるように言ったのです。これが返って、フランス、ドイツの経済を逼迫してしまいました。
略図
○イギリス(ウィンザー朝)
ロイドジョージ
↓
マクドナルド
シン=フェイン党
↓
アイルランド自由国
↓
エール
↓
○ドイツ
↓
↓
ドーズ案
↓
ヤング案
↓
フーヴァー=モラトリアム
↓