今日は中国の清をやります。
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あらすじ
女真族が後金を建て、それが清に変わります。そして、明を滅亡させました。中国人が作った国ではないので、反発する人もいます。そのため、それをうまく抑える統治体制を整えていき、すごく安定した時代が訪れます。
地図
まずは今日やる地域を地図で確認しましょう。
後金
明が混乱していた時に、ヌルハチが女真族を率いて後金を建てます。後に満州と改称します。彼の時代には、八旗という軍を編成したり、満州文字を制作しました。
ホンタイジの時から中国へ侵入していきます。まずは、内モンゴルのチャハルを征服します。そして、国号を清と改称しました。さらに、朝鮮を属国化します。
清
万里の長城があるため、清は明になかなか攻めることができません。しかし、李自成の乱で明が滅ぶと呉三桂(ごさんけい)を仲間にして、北京へ誘導してもらい、李自成を倒し、北京を新しい都にしました。
清はもともと中国人が作った国ではないので、反発する人もいます。それが鄭成功(ていせいこう)です。明の復興の望む彼はオランダ人を追い出して、台湾を占領します。そしてそこに鄭氏台湾を作りました。彼は国姓爺とも呼ばれます。
全盛期
1661年から1722年の長い期間は康熙帝(こうきてい)の時代です。彼は満州人が中国全土を支配するシステムにこだわりました。そのため、漢民族が統治している地域を取り潰します。漢民族を放っておくと自分たちを倒しにくる恐れがあるためです。そして藩王の勢力削減していきます。藩王とは清に協力した漢人武将のことです。呉三桂などです。
それに反発して三藩の乱が起こります。しかし、鎮圧されます。さらに、鄭氏台湾を征服しました。
この時代は、一条鞭法から地丁銀に変えます。地銀の中に人頭税を繰り込み、一括して銀納させたものです。
北方のロシア皇帝ピョートル1世とネルチンスク条約を結びます。そして、ロシアとの国境線を決めました。さらに、外モンゴルを併合し、徐々に領土を広げていきます。
中国でキリスト教を広めるにあたって問題が起こりました。典礼問題です。典礼とは中国にある昔からの儀礼のことです。祖先や孔子を拝む文化があったのです。イエズス会は典礼を承認しますが、他のキリスト宗派は反発します。そのため、康熙帝はイエズス会以外の布教を禁止しました。
康熙帝の後は、雍正帝(ようせいてい)です。彼は今までの典礼問題を受けて、キリスト教の布教を全面禁止します。さらに、チベットを併合します。また、ロシアと再び条約を結びます。キャフタ条約です。そして、軍機処(ぐんきしょ)を設置しました。周辺民族を討伐する特別機関のことです。それに権力を与えて、周りの民族をすぐに鎮圧できるようにしました。
次は乾隆帝です。彼の即位期間は60年間です。そして、康熙帝の即位期間は61年です。彼は康熙帝を尊敬していました。そのため、61年になるその前に自ら辞めてしまったのです。
彼は、制限貿易を開始します。貿易港を広州1港に限定し、特権商人の公行を設置しました。当時中国では、銀で溢れかえっていました。それを外に出て行かないようにしたのです。
乾隆帝の時は、領土が最大になります。ジュンガルを併合しました。現在新彊(しんきょう)と呼ばれます。
統治
清の領土は、満州、台湾、中国本土の直轄地と非漢人が優勢な地域の藩部に分かれていました。この藩部は理藩院(りはんいん)によって監督されました。
清の軍事制度は、ヌルハチの時代に出来た八旗が整備されます。満州、モンゴル、漢の3軍で構成されます。さらに、漢人のみで構成された治安維持を担当する緑営がありました。
清のとった統治政策はアメとムチでした。アメの部分は、六部、科挙など明の制度を受け継ぎました。そして、満漢併用制という重要な官職の定員を偶数名として、満州人、漢人を同数任命します。
次はムチの部分です。満州人の風習の辮髪(べんぱつ)の強制します。さらに、文字の獄、禁書で言論・思想の弾圧をしました。
社会・経済
明と清では、農業が発達します。「湖広熟すれば天下足る」といって、長江中流域が米の生産地として栄えます。今までは下流でしたが、中流に移ったのです。下流では、米以外の商品作物を栽培するようになります。茶、綿、桑などです。
さらに、商業も活発化します。徽州商人(きしゅう)と山西商人が出てきます。主に出身地を指していう言い方です。徽州商人は専売の塩で利益を上げ、山西商人は、専売の塩と金融業を中心としていました。そして、同業、同郷の商人や職業が建設し、親睦や互助を目的として会館や公所が出来ました。
当時の貿易で人気だったのが、生糸と陶磁器でした。蘇州、杭州、広州が貿易港として栄えました。
略図
五代十国 / 遼
↓ ↓
北宋 ↓
↓ ↓ ↓
↓ 西夏 ↓
南宋 / 金 ↓ 金
↓ ↓ ↓ ↓
↓ モンゴル
↓ ↓
モンゴル
↓
元
↓
明 後金
↓ ↓
清
↓
↓
今日はここまで。ではまた次回!