今日は、スペイン、オランダ、イギリスの主権国家体制の成立です。無敵艦隊が出てきます。名前がかっこいい。
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主権国家
主権国家とは、明確な領域を有し、確立した主権が存在する国家のことです。主権とは、国内では最高権力としての正確を、対外的には独立性を持つことである。
主権国家同士の初めての戦争はイタリア戦争(1494~1559)でした。イタリア戦争はフランスと神聖ローマ帝国がイタリアをめぐって抗争したものです。フランスはオスマン帝国と手を結び、神聖ローマ帝国はイギリスと手を組んだり、宗教とは無関係に動いたのです。この戦争は、カトー=カンブレジ条約(1559)の締結で終了しました。
主権国家体制が作られ始めたのは、絶対王政の時代でした。絶対王政とは、国王の力が最大ピークに達して、国王のもとですべての物事が決定されていくことです。
この絶対王政を支えていたのは、官僚制と常備軍です。王は万能ではありませんので、ブレーンとして政治を補佐する役人を使ったのです。それが官僚制です。
また、王に反抗する人が出てくるかもしれません。それに対して平時から常置されている軍隊を持ちました。常備軍です。
さらに、自分の力を正当化するために王権神授説を唱えていました。王権は神から授けられた神聖不可侵なものであるという説です。
官僚と常備軍にはお金が必要です。そのために、重商主義という政策をしました。重商主義には、重金主義と貿易差額主義の2つあります。重金主義は、海外植民地から金・銀を奪ってくるものです。しかし、これはいつまでも続きません。そこで次の貿易差額主義が出てきました。貿易差額主義は、輸出を増やし、輸入を抑えて儲けるものです。
この輸出を増やすためには、質が良くて安い製品を作らなければなりません。そのために、マニュファクチュア(工場制手工業)という経済システムが生まれました。これは、資本家が工場を建てて労働者を集めて、分業による協業を通じて生産を行う制度のことです。
スペイン
スペインの絶対王政を開いたのは、カルロス1世でした。彼の母はスペイン王家、父がハプスブルク家です。そのため、彼は神聖ローマ皇帝を兼任します。神聖ローマ皇帝としての名前はカール5世でした。そして、広大な領土を支配していました。スペイン、ネーデンルラント、オーストリア、シチリア、ナポリ、ミラノ、フィリピンなどです。その中のアメリカ大陸から銀をたくさんスペインに送らせていました。
このお金を使って、絶対王政を完成させたのは、フェリペ2世です。彼はカトリック政策を強化しました。さらに、レパントの海戦でオスマン帝国を破りました。また、現在のフィリピンの首都であるマニラを建設します。ちなみにフィリピンの名前の由来はフェリペから来ています。
そして、ポルトガルを併合しました。太陽の沈まぬ国といわれるほどでした。しかし、その後、無敵艦隊(アルマダ)が敗北しました。これで、アメリカに行く道も途絶えてしまい、さらにアメリカ大陸の銀も取り付くし、スペインの絶対王政は終わってしまいました。
オランダ
オランダの首都はアムステルダムです。この独立したてのオランダは、アジア貿易へ参入します。ポルトガルはスペインに吸収されてたので、アジアへ船を出せなかったのです。そこで、オランダ東インド会社を設立し、ジャワ島にバタヴィアを建設しました。そして、総督府を設置し、香辛料貿易の独占を目指しました。また、台湾を占領し、アフリカ最南部のケープ植民地を建設して、立ち寄るための拠点を作りました。
1623年に、モルッカ諸島でアンボイナ事件が発生してしまいます。イギリス人商館員を虐殺し、イギリスを東南アジアから締め出しました。これによりオランダは香辛料貿易を独占したのです。
その後、アジア以外にもアメリカ大陸に行きます。オランダ西インド会社をを設立し、ニューネーデルラント植民地を作りました。中心地はニューアムステルダムです。現在のニューヨークです。
このように世界中オランダの船であふれていたために、17世紀はオランダの世紀だと呼ばれます。
イギリス
イギリスでは、中央には議会があります。一方、地方行政を担当するジェントリ(郷紳)と呼ばれる人がいました。彼らには給料がありません。そのため、自分で工場を経営しました。そのため、毛織物工業が発達しました。
また、他の地域と違い官僚制と常備軍は未発達でした。それは議会とジェントリと協力していかないと国が回らないので、国王は、えばることができないからです。これがイギリスの状況でした。
イギリスの絶対王政を開いたのはヘンリ8世です。彼は、星室裁判所を設置し、自分に抵抗する勢力をひそかに処罰していました。彼は、市民から人気があったので、議会は強く反発できませんでした。
彼のころには第1次囲い込み(エンクロージャー)がありました。囲い込みとは領主や地主が、共有地などを牧羊地にする目的で塀などを囲むことです。羊毛を使って毛織物を作り、輸出してお金を儲けるのです。これにより、イギリス産業はさらに発展していきました。ただ、農民たちの浮浪化、極貧化してしまいました。
彼の死後、エリザベス1世の時に、イギリスの絶対王政は完成します。統一法を制定しました。これによりイギリス国教会が確立しました。さらに、国内の経済活動を活発化させるために、積極的に海外に出て行きました。そのため、海賊のドレークを使いました。
そして、ついにスペインの無敵艦隊を撃破し、イギリスの経済力、海軍力の強さがヨーロッパに示されました。さらに、イギリス東インド会社を設置しました。
ヘンリ8世もエリザベス1世も国民の人気をつかみ、議会やジェントリとうまく協調して統治していったのでした。
イギリスは、インドへ進出していきます。エリザベス1世のときに作られた東インド会社が中心になりました。まず、マドラス、ボンベイ、カルカッタを獲得し、インドを拠点にしていきます。
次は、アメリカ大陸へ進出していきます。まず、ヴァージニアを建設しました。その後、ピルグリム=ファーザーズが宗教的自由を求めて移住します。ピューリタンです。ピューリタンたちがさらにアメリカ大陸に移っていくと、ニューイングランド植民地が形成されました。そして、オランダのニューアムステルダムを奪って、ニューヨークと名前を変えました。
略図
○フランス
↓ ルイ14世
↓
○スペイン
↓
↓ カルロス1世
↓ フェリペ2世
↓ レパントの海戦
↓
スペイン共和国
○オランダ
ユトレヒト同盟
↓
○イギリス
↓
↓ ヘンリー7世
↓ ヘンリ8世
↓ エリザベス1世
↓
今日はここまで。ではまた次回!