【教養のための世界史】第二次世界大戦後のインド・アフリカ

今日は第二次世界大戦後のインド・アフリカです。落ち着いたら日本史もやりたいですね。

世界史チャレンジ。大学受験や教養、旅行の前になど。毎日少しずつ知っていこう。

 

f:id:nicochan0923:20210523101427p:plain

青い文字をクリックすると関連した画像検索や記事に飛びます。絵や写真だったり、続きの話、前の話です。気になったらさっと見てみましょう。

 

インド

 イギリスは第二次世界大戦後、インドの独立を認めました。インド連邦からインド共和国へと名前が変わっていきます。初代の首相はネルーです。ネルーを筆頭に独立を達成しましたが、本来のインド独立とは違いました。

 

 実は、インドとは、別に独立した国がありました。パキスタン共和国です。パキスタンの総督ジンナーは全インド=ムスリム連盟を率いている人です。パキスタンは当初、東パキスタンと西パキスタンに分かれて飛び地でした。

 

 パキスタンは、本来であれば、同じインドのはずでしたが、ヒンドゥー教イスラーム教の宗教上の違いから別々の国になってしまいました。また、スリランカ(セイロン)も独立を達成しました。

 

 バラバラな独立国家が出来てしまったために、インドでは領土争いが起こります。カシミール地方を争って、第1次インド=パキスタン戦争が起こりました。住んでいる人はイスラーム教が多いのですが、古い王様はヒンドゥー教だったのです。

 

f:id:nicochan0923:20210607221153p:plain

 

 このような宗教対立はイギリスが原因です。そこで、ガンディーはインドとパキスタンに戦争を止めるように呼びかけます。しかし、暗殺されてしまいました。同じヒンドゥー教徒の青年によって殺されてしまったのです。

 

インドとパキスタン

  インドは第二次世界大戦後、核保有国になりました。これはパキスタンにプレッシャーを与える目的で核を持ったとも言われています。

 

 パキスタンでは、やがて独立運動が発生していきました。そして、東パキスタンでの独立運動が盛んになります。それにインドは支援しました。そのため、第3次インド=パキスタン戦争が始まりました。結果、東パキスタンバングラデシュとして独立することができたのです。

 

 1998年には、パキスタンは核を保有するようになり、インドに対抗しました。

 

スリランカ

 独立が達成後、スリランカ内戦が起こりました。タミル人とシンハラ人が争ったのです。タミル人は、少数派でヒンドゥー教徒、シンハラ人は先住民で仏教徒でした。

 

 このスリランカは、イギリスの支配下にあったので、紅茶の栽培をしていました。しかし、労働力が不足したため、南インドにいた人たちを無理矢理連れてきました。そして、残した状態で独立を認めてしまったため、起こった内戦です。

 

 2000年代初頭にはこの内戦は終わりました。

 

 

 

アフリカ

 アフリカでは、リベリア共和国以外はすべてヨーロッパの植民地になっていました。その中でも上の地域は、アラブ人が多く住むので、アラブ=アフリカと呼ばれます。一方、下の地域は、黒人が多く住むので、ブラック=アフリカと呼ばれます。

 

f:id:nicochan0923:20210608144315p:plain

 アラブ=アフリカでは、第二次世界大戦中、エチオピア帝国が独立しました。そして、第二次世界大戦後にリビアスーダン、モロッコが独立します。さらに、チュニジアアルジェリアが独立しました。

 

 アルジェリアでは、石油が取れるので、旧宗主国のフランスは最初認めませんでした。そのため、アルジェリアの人たちは、民族解放戦線を作り、フランスと戦いました。それがアルジェリア戦争です。最終的には、ド=ゴールがアルジェリアの独立を承認したことで終結しました。

 

 ブラック=アフリカでは、ガーナが独立しました。 初代大統領はエンクルマです。その後、ギニアが独立しました。そして、1960年には、17カ国の国が独立します。そのため、1960年はアフリカの年といわれました。独立を達成した国々は、アフリカ統一機構(OAU)を結成させます。

 

 コンゴはすんなり独立した国ではありません。コンゴの中にあるカタンガ州が分離独立を望んで暴動を起こしました。ここは豊富な地下資源をもっているため、旧宗主国ベルギーが介入してきます。こうして、内乱が発生し、首相が暗殺されてしまう事態まで発生してしまいました。これをコンゴ動乱といいます。

 

 アフリカは総じて発展途上国として苦しい経済に直面しました。これを助けるために国際連合が動きます。国連貿易開発会議(UNCTAD)が設立されました。貿易・援助を中心とした国際協力を推進するためにできた組織です。

 

 そして、先進国と発展途上国との経済格差を南北問題といいます。また、南の中で生じた更なる経済格差を南南格差といいます。南の中でも資源が取れる地域と取れない地域で格差が生じるのです。

 

 ジンバブエは、もともとはローデシアという名前で独立していました。そこでは、白人政府によるアパルトヘイト政策が実施されていました。黒人は差別、排斥されていたのです。そこで黒人たちが解放戦線を結成し、白人政府を倒し、黒人政府を作り上げました。そのときに、ジンバブエと名前を変えたのです。

 

 南アフリカ共和国でもアパルトヘイトがありました。そこでイギリスは廃止するように求めますが、イギリス連邦より離脱してしまいます。これには、国連総会が対南ア経済制裁を決議しました。さらに、国内でもアフリカ民族会議(ANC)が抗議活動を行いますが、それでもなお撤廃はされません。

 

 しかし、ついにアパルトヘイトが廃止されました。そして選挙実施しマンデラが大統領に就任したのです。

 

 旧ポルトガル領から、アンゴラモザンビークが独立しました。しかし、いずれの国でも政府派と反政府派の内戦が起こります。

 

 ナイジェリアでも内戦が起こりました。東部に住むイボ族がビアフラ共和国を建設し、ナイジェリアから独立しようとします。しかし、この地域は、石油が多く取れる地域があるので、これを認めようとはしませんでした。それで内戦になってしまったのです。

 

 ソマリアでも内戦が起こります。武力行使を認めれた国連PKOの派遣もされました。

 

 ルワンダ内戦も起こりました。フツ族によるツチ族の大量虐殺しました。

 

略図 

 ○インド共和国

ネルー

インディラ・ガンディー

 

○アフリカ

1960年はアフリカの年。

アフリカ統一機構