【教養のための世界史】先史時代 

世界史チャレンジ。大学受験や教養、旅行の前になど。毎日少しずつ知っていこう。

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 青い文字をクリックすると関連した画像検索や記事に飛びます。絵や写真だったり、続きの話、前の話です。気になったらさっと見てみましょう。

 

地図

世界史を理解するためには地図とリンクさせることが不可欠です。折角なので地理も一緒に覚えるといいですね。

 

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世界地図

 

 今日の話は先史時代の話です。先史というのは、文字が発明されて人類の記録を残すようになる前の歴史のことをいいます。

 

 

人類の生まれた場所

 では、皆さんは人類がどこから始まったのか知っていますか。最初の人類はアフリカ大陸に登場しました。

 

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アフリカ大陸

 赤い部分がアフリカ大陸です。そして、黒で線が引かれているのが大地溝帯(だいちこうたい)(グレートリフトバリー)です。人類の化石が多く発見されたため、人類の生誕の地とも呼ばれます。ここで生活をしていたのでしょう。

 

 最初の人類は猿人といいます。猿人の写真を見てみてください。最初の人類といわれていますが、どう見ても猿に見えますよね。

 

 では、一体ヒトとサルの違いとは何なんでしょうか。それは直立二足歩行が可能であるということです。これがヒトと呼ばれる最大の要因です。直立二足歩行が可能になると、今まで使っていた前足が手に変わります。このことにより、何かを持つ、何かを使うということができるようになりました。

 

 さらに、直立二足歩行は脳を発達させました。これは、四つんばいだと首だけで頭の重さを支えますね。しかし、直立二足歩行になると、背骨で支えることができるのです。すると大きくなっても支えることができるようになるのです。さらに、手を使うことも脳を発達させる原因でしょう。

 

人類の進化 

 人類の進化は猿人→原人→旧人→新人という順番で進化していきます。進化したというより生き残ったというほうが正しいかもしれませんが。

 

 進化するにあたって、体の見た目だけでなく、脳のサイズが大きくなっていきました。これにより、知恵を付けるようになっていきます。つまり、道具を使用するようになっていくのです。

 

 では、1つずつ人類の進化を見ていきましょう。最初は猿人です。その中でも今のところ一番最古とされているのは、ラミダス猿人といわれています。約450万年前です。

 

 そこから約250万年前になると、大地溝帯の東部、ダンザニア草原でアウストラロピテクス類が出現し、大地溝帯に広がります。アウストラロピテクスとは、ラテン語南方のサルという意味です。

 

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広がり

 

 猿人は簡単な打製石器を使用していました。石同士をぶつかり合わせて削り作ったようなものです。当時、猿人が使っていた石器のことを礫石器といいます。道具というより、自然の石とほとんど同じ感じがしますね。彼らはまだ、道具を加工する知恵があまりありませんでした。そのため、落ちている石を使っていたのです。

 

 では、こうした打製石器はなぜ使われるようになったのでしょうか。当時の人々は狩猟・採集といった獲得経済という生活スタイルでした。なので、動物を狩るために、打製石器ができたというわけです。

 

 180万年前には原人が登場します。彼らは、アフリカを離れてユーラシア大陸各地へ広がりました。そのため、さまざまな場所で化石が発見されています。

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原人の広がり

 中国から見つかったのは、北京原人です。彼らは火を使用していたといわれています。また、東南アジアから発見されたのは、ジャワ原人です。

 

 原人は、ハンド=アックス(握斧(あくふ)) を使用していました。石の丸い部分をそぎ落として、鋭利なものにしていくものです。礫石器を加工して、使いやすくしたものです。また、言語の使用を始めたのも原人からだといわれています。

 

 次は旧人です。60万年前に出現しました。有名な化石はドイツのネアンデルタール人です。

 

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旧人の広がり

 

 毛皮の衣服を着るようになったのはこの時期からです。旧人の特徴は、洞穴に住み、一部では埋葬の習慣がありました。死んだ仲間を土に埋めたり、花を添えたりしたのです。注目すべきなのは、彼らは死んだ後の世界を考えていたということです。これは一種の宗教的儀式だったのです。また、使用していた石器は、剥片石器です。これらは、木の棒に括り付けて動物を狩ったり、肉を切ったり、毛皮の加工に使っていました。ハンド=アックス(握斧(あくふ)) を作るときに生じた破片を加工して作ったのでそういう名前なのです。

 

 最後は新人です。私たちの祖先ですね。ホモ・サピエンスとも呼ばれます。新人の有名な化石はフランスのクロマニョン人や中国の周口店上洞人(しゅうこうてんじょうどうじん)です。

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新人の広がり

彼らの石器は、旧人の頃に使っていた剥片石器が精巧になっていきます。さらに、新しい道具が登場します。骨角器です。骨や角を加工したものです。石だけでは作れないような銛(もり)、槍(やり)、針を作ったのです。

 

 また、彼らは、自分たちが住んでいた洞窟に絵画を描きました。それが洞穴絵画です。北スペインのアルタミラや南フランスのラスコーです。当時の動物が描かれているので、どういう動物を狩っていたのかがわかるのです。

 

 見てみるとわかるのですが、結構動物はリアルに描かれています。それに比べて、人間の絵はすごくチープな感じがします。これはなぜかといわれると、動物をさばいて食べていたからでしょう。人の絵を描くときは人体の勉強をしますね。それが関係しているのです。動物を解体することによって、動物の形を正確に認識していたのですね。

 

 さて、約10万年前、彼らの一部は地球規模の寒冷化のため、出アフリカをし、広がっていきます。大地溝帯の北の出口、シリアからアフリカ北部、西アジアの乾燥地帯に移住していきました。その後、長い時間をかけて、さらに様々な場所に広がっていきます。これをグレートジャーニーといいます。

 

石器 

 ここまでの約250万年前から1万年前の打製石器を使用していた時代を旧石器時代といいます。

 

 約1万年前に最後の氷河期が終わると、やがて気候が温暖化していきます。すると新石器時代になりました。

 

 

 新石器時代になると磨製石器を使用するようになります。これは石を磨いて作ります。石臼石斧などです。また、石器のほかに土器が作られるようになります。これは調理や貯蔵のためですね。

 

 なぜ新石器時代になると、当時の人々はこれらの道具を作られるようになったのか。それは生活が変わったからです。人々は農耕や牧畜に変わったからです。そして、自分たちで食べるものを生み出していることから生産経済といいます。獲得経済から生産経済に変わったのです。食料革命ともいいます。

 

 さて、農耕に変わっていきますが、常に農作物を取れないと困ります。人々は、農耕での生活を安定させたいのです。そのため、人々は農業生活を灌漑(かんがい) 農業を始めます。農耕に必要な水を人工的に供給する農業のことです。川から水路を作って人工的に水を引くのです。農業には水が欠かせませんので。

 

 灌漑(かんがい) 農業の前は、乾地農法を使っていました。雨水を頼りにした農法です。また、当時は肥料を用いていません。これを略奪農法と呼びます。もちろんこれでは、安定しませんので、灌漑(かんがい) 農業に変わっていったのですね。

 

 これを作るためには、協同作業の必要性が出てきます。そして、定期的にメンテナンスを行ったり、壊れたときに直したりするために人々が近くにいないといけませんので、その周りには大規模な集落を形成されます。そして、インフラを整備するために役割分担を決めたりします。その時に強いリーダーが登場していきました。

 

 集落は国家(都市国家)へと発展していきます。さらに農業の記録、灌漑施設の復旧作業に必要な知識を記すために文字が発明されます。私たちはこの文字を読むことによって、当時の歴史を詳しく知ることができるのです。この文字が発明されて以降の時代を歴史といいます。

 

 さらに、別の地域との貿易、交易や隣の集落から農作物を奪うといった戦争が発生していきました。

 

 では今日はここまで。また次回。

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