【教養のための世界史】第一次世界大戦

今日は第一次世界大戦です。いよいよですね。

世界史チャレンジ。大学受験や教養、旅行の前になど。毎日少しずつ知っていこう。

 

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あらすじ

 ヴィルヘルム2世が出てからヨーロッパの国際秩序は大きく変わってしまいました。

 

ドイツ vs ロシア

  当時、ドイツ、イタリア、オーストリア三国同盟を結んでいました。また、ドイツとロシアは再保障条約を結んでいます。そして、イギリスは光栄ある孤立で一人でした。これにより、フランスを孤立させることに成功します。これがビスマルク体制でした。

 

 しかし、ヴィルヘルム2世が登場してから、海外植民地を獲得する動きを見せます。ロシアが狙うバルカン半島を獲得するため、ロシアとの再保障条約の更新を拒否してしまいました。すると、空いたロシアにフランスは近づき、露仏同盟を結びます。また、イタリアとオーストリア三国同盟を結んでいますが、未回収のイタリアを巡って争っていました。

 

 イギリスは各国に工業生産数を抜かされて焦り始めます。そこでイギリスは日英同盟を結びました。これを受け、ドイツを嫌っていたフランスがイギリスに近づきます。1904年には、英仏協商、を結びました。1907年には、英露協商を結びます。ロシアはドイツとの戦いを避けられないため、イギリスに近づいたのです。これを三国協商といいます。

 

 バルカン半島にはドイツやロシアの思惑があったので危険な地域でした。すべてのドイツ人の結集により、世界制覇をねらうパン=ゲルマン主義をいう考え方があります。このターゲットがドイツやオーストリアの目の前にあったバルカン半島でした。一方、スラヴ民族の統一と連合をめざすパン=スラヴ主義がもあります。バルカン半島にはスラヴ人が多く住んでいました。この2つが対立していきます。

 

 パルカン半島におけるパン=スラヴ主義の中心勢力はセルビアでした。同じスラヴ人のロシアはここを応援していきます。

 

 バルカン半島の情勢は悪化していきます。オスマン帝国内で、青年トルコ革命が起きました。そして、便乗する形で、ブルガリアが独立、オーストリアボスニア・ヘルツェゴヴィナを併合してしまいます。

 

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 さらに、イタリア=トルコ戦争も発生します。当時イタリアが弱っているオスマン帝国に勝手に侵入し、現在のリビアを獲得したものです。ここで弱っているオスマン帝国の領土を獲得すべく、セルビアバルカン同盟を結成しました。セルビアブルガリアモンテネグロギリシアです。そして、ロシアが間接的に支援します。

 

 バルカン同盟はオスマン帝国に戦争を仕掛けました。第一次バルカン戦争です。オスマン帝国は敗れまれた。そこで、バルカン同盟は領土を拡大していきます。

 

 しかし、領土の分配を巡って、仲間割れを起こしました。それが第二次バルカン戦争です。ブルガリアセルビアモンテネグロギリシアです。結果、ブルガリアは敗北してしまいました。負けたオスマン帝国ブルガリアセルビア、ロシアと今後対立していきます。

 

勃発

  1914年6月28日、オーストリア帝位継承者夫妻が陸軍演習を視察するために、サライェボを訪問しました。ここは、オーストリアが無理矢理併合した、ボスニア・ヘルツェゴビナの中心地です。

 

 このやってきた夫妻をセルビア青年が暗殺してしまいました。これがサライェボ事件です。これにオーストリアは激怒し、圧力をかけていきました。セルビアは対抗する姿勢を見せます。

 

 ついにオーストリアセルビアに対して宣戦布告しました。するとロシアは、セルビアを支援しようと軍隊を送ります。これを受け、ドイツが参戦しました。そして、ロシアと手を結んでいたイギリス、フランスが次々と参戦していきます。

 

 ロシア・イギリス・フランスは協商国(連合国)、ドイツ・オーストリア同盟国と言われました。第一次世界大戦がスタートします。

 

 当時ドイツは焦っていました。ドイツは地理的に不利な状況だったのです。まず、フランスとロシアに挟まれています。さらに、海からイギリスが攻めてくる可能性もありました。

 

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 挟まれてしまった以上、戦争を長引かせるわけにはいきません。ドイツは短期決戦にしようと考えました。作戦は全力でフランスを倒し、ロシアを倒そうとするものです。

 

 最初はフランスとの戦いである西部戦線です。なんとドイツは、フランスの首都パリを落とすために、ベルギーの中立を侵犯しました。中立国ということは戦争に巻き込んではいけません。これが国際ルールです。それを破ってしまったのです。ベルギーはパリにとても近かったので、そこを通ることで、パリを攻めようとしました。

 

 これに対して、イギリスがドイツに宣戦します。そして、フランスとは、マルヌの戦いで衝突しました。しかし、ドイツはこれに負けてしまいます。

 

 一方、ロシアとの戦いは東部戦線です。思い描いていた作戦とは違い、ロシアと先にタンネンベルクの戦いで衝突しました。結果、ドイツはロシアに勝利します。そのままドイツ軍はロシアへと侵攻しました。しかし、ドイツは敗れてしまいます。

 

 これにより、短期決戦は敗れてしまい、膠着状態になってしまいました。

 

 海上からはイギリスが攻めてきます。軍艦を強化していましたがそれでもイギリスには勝てません。そこでドイツは、海上で勝てないなら、潜ってしまえばいいと考えました。潜水艦を作ります。

 

 この潜水艦で潜っているとき、イギリスの旗を掲げている船を見つけました。これに発砲します。しかし、これは、軍艦でなく、一般客が乗っているルシタニア号でした。この船には、アメリカ人が多く乗っていたため、アメリカの国民は大激怒です。

 

 1914年に日本が参戦しました。日本とイギリスは日英同盟を結んでいたためです。日本はヨーロッパに攻めにいくのでなく、ドイツが持っている中国領土を攻めに行きました。膠州湾青島を占領します。

 

 さらに、大隈重信内閣のときに、中国に対して、二十一カ条の要求を出しました。また、ドイツ領南洋諸島を占領しました。

 

 ヨーロッパでは、三国同盟を結んでいるにも関わらず、イタリアが動いていません。ここに目をつけたイギリス、フランスは、未回収のイタリアの一部割譲を引き換えにイタリアに接近しました。1915年、三国同盟を離脱し、イタリアは協商国側で参戦します。

 

 イギリスは、戦局を有利にするために、秘密条約を結びました。本来は外交というのは、オープンな形でしなければなりません。合計3つです。

 

 1つ目は、フセイン・マクマホン協定です。オスマン帝国はバルカン戦争敗北以降、ドイツに接近していたので、ドイツ側で参戦していました。そこで、イギリスは、オスマン帝国の領土内にいるアラブ人たちに独立を約束し、暴動を起こしてもらったのです。

 

 2つ目は、サイクス・ピコ協定です。オスマン帝国領をイギリス、フランス、ロシアで分割するものでした。1つ目の協定でアラブ人の独立を約束する一方で、分割するという二重の取り決めをしてしまったのです。

 

 3つ目は、バルフォア宣言です。パレスチナにおけるユダヤ人国家建設を支援する代わりに軍資金をもらうものでした。ここもオスマン帝国領です。つまり、オスマン帝国領に関して、3つの条約を結んだのです。これが今後、中東問題の原因となっていくのでした。さらに、協力を条件にインドでも自治を与える約束を行い、イギリスは必死です。

 

終結 

 第一次世界大戦は思いもよらず長引いてしまいました。そのため各国は総力戦という形をとります。戦争に勝つために、国民全員で協力しようというものです。たとえば、女性は戦地へ行く代わりに工場労働で武器の生産を手伝わされました。しかし、総力戦をとっても戦局は動きません。

 

 ヴェルダン要塞をめぐりドイツとフランスは戦います。これはフランス軍が勝利しました。

 

 ソンムの戦いでは、ドイツとイギリス・フランスで戦います。イギリスはこの戦いで始めて戦車を使いましたが、決着はつきませんでした。

 

 なかなか決着がつかなず焦ったドイツは、無制限潜水艦作戦を実施しました。これは、指定した水路以外を通った船は無警告で沈めるという作戦です。これに怒ったアメリカは、参戦を決定します。

 

 このアメリカの参戦が決まった年に、ロシアは戦争を抜けました。ブレスト=リトフスク条約をドイツを結んで休戦します。このとき、ロシアでは革命が起こったので戦線から離脱したわけです。

 

 アメリカが参戦したことで、同盟国側が次々と降伏していきましたブルガリアオスマン帝国オーストリアが降伏します。残るのはドイツだけです。

 

 そして、このドイツでは、革命が起きました。キール軍港で水兵たちがもう戦いたくないと反乱を起こします。これが広がると、各地にレーテと呼ばれる労働者や兵隊の代表者が集まる評議会が出来るようになりました。

 

 この動きは都のベルリンにまで波及します。そして、皇帝ヴィルヘルム2世は亡命してしまいました。その後、皇帝がいなくなったため、ドイツは共和政になります。臨時政府が成立し、ドイツ休戦協定を締結しました。これをもって、第一次世界大戦終結しました。

 

略図

ビスマルク体制

三帝同盟

三国同盟

フランスが孤立

 

○崩壊

露仏同盟

日英同盟

英仏協商

英露協商

三国協商

 

サライェヴォ事件

第一次世界大戦