今日は世界恐慌です。コロナも歴史に絶対載りますよね。
世界史チャレンジ。大学受験や教養、旅行の前になど。毎日少しずつ知っていこう。
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あらすじ
第一次大戦後、国際的なルールが決まり、協調する風潮が生まれました。しかし、世界恐慌が起こり、これらは崩れてしまいます。
乗り切るための対応は、植民地を持っている国と持たざる国で変わりました。持っている国は植民地を使うことで対応できました。
一方、ソ連は、世界恐慌に関係なく、工業生産数は増えていきました。
世界恐慌
1920年代のアメリカは株のブームでした。サラリーマンだけでなく、奥様や子どもまでも株の話題を口にしています。何故かわからないくらいに株は徐々に上がっていきました。株を買えば誰でも儲かる時代です。
しかし、1929年10月24日の木曜日、ニューヨーク株式市場のウォール街で株式の大暴落が起こります。暗黒の木曜日という言い方をします。これにより、アメリカでは大規模な金融恐慌が発生しました。借金を何十億抱えたり、自殺する人も出ました。これが全世界に波及します。
フーヴァー大統領は資本主義経済の自然回復力を信じて対策しません。当時はアダム=スミスの考えが浸透しており、国家の経済の介入は否定的でした。そのため、彼はフーヴァー=モラトリアムの実施しただけです。しかし、これはヨーロッパ経済を悪化させただけでした。
彼の後はフランクリン=ローズベルトです。彼はニューディール政策を実施しました。新規まきなおしをいう意味です。国家が経済に積極的に介入していきました。
まずは農業調整法(AAA)で生産制限、過剰生産物の政府買い上げを行いました。農民を助けるための政策です。また、全国産業復興法(NIRA)で企業の救済、労働者の団結権・団体交渉権を承認しました。
そして、テネシー川流域開発公社(TVA)で多くの失業者を吸収することに成功しました。いわゆる公共事業です。また、全国産業復興法が違憲判決になったために、労働者の団結権・団体交渉権を改めて承認したワグナー法を制定しました。企業の介入だけが違憲だったのです。
彼は世界恐慌に対応するために外交も変えていきました。善隣外交です。経済的・政治的な南北アメリカの一体化へ目指す外交方針です。そのため、キューバが独立しました。さらに、輸出を狙って、ソ連を承認しました。
イギリス
アメリカの恐慌がイギリスにも波及しました。有名な企業が倒産し、失業者が増えていきます。そこで、マクドナルドが再び内閣を作りました。第2次マクドナルド内閣です。彼は労働党で、社会主義、つまり貧しい人を助ける政党ですね。イギリス国民は彼に期待します。
しかし、あまりにも失業者が多く、失業保険の額が増えていきました。失業保険とは、仕事を失ったときに、次の仕事が見つかるまで、一定期間国からお金をもらう制度のことです。これにより、政府の財政は逼迫していきました。
そこで、彼は失業保険の削減を行います。しかしこれは良くない政策でした。労働党を支持している人から失望の声が上がります。これにより、労働党の反対で、総辞職し、除名処分になってしまいました。
彼は労働党をクビになりましたが、なんと戻ってきました。他の政党の人たちが、彼の政策を評価したため、再び首相に迎えられたのです。自由党、保守党の連立政権の首相に招かれました。マクドナルド挙国一致内閣が成立します。
そして、彼は恐慌に対処していきました。まず、金本位制を停止します。
金本位制とは、紙幣と金を交換するというものです。よく考えてみてください。紙幣はただの紙です。価値があるように思えませんね。そのため、紙幣に価値を持たせるために、銀行に紙幣をもっていけば、すぐに金と交換できるという方法を取りました。これにより、紙幣に価値が生まれたのです。金の代わりに紙幣を持っているという形になったのです。
当時イギリスは、自由貿易によって、ポンド(イギリスの紙幣) が世界各地に散らばっていました。世界各地の人から、金と紙幣を交換してくれと言われ続ければ、イギリス国内に金がなくなってしまします。すると金と交換できないので、紙幣は発行できません。
そのため、金本位制を停止したのです。このようにして、金が国外へ流出するのを防ぎました。さらに、今までの貿易のスタイルを変えます。オタワ連邦会議(イギリス連邦経済会議)が開催され、そこで自治領、植民地とだけ貿易をすると発言しました。
これによって、イギリスが新しく作りあげた貿易のスタイルをブロック経済といいます。また、イギリスのブロック経済をスターリング=ブロック、ポンド=ブロックといいました。
フランス
フランスもイギリスに倣って、ブロック経済を行いました。フランスの通貨はフランなので、フラン=ブロックといいます。
しかし、フランスは小さな政党が多くあったので、まとまって、対策するということができませんでした。そのため、経済対策はこれくらいで、終わってしまい、ぐだぐだです。
これを受けて、フランスでは、ファシズム勢力が拡大していきました。ファシズムは反社会主義です。社会主義政党は焦り始めました。そこで、ファシズム勢力を抑圧するために、人民戦線を結成します。フランス社会党、急進共産党、フランス共産党が力を合わせました。さらに、ファシズムが嫌いな人も合流していきます。
そして、ついに、人民戦線はブルムを中心に、ブルム人民戦線内閣を成立させました。
略図
○アメリカ
↓
フーヴァー・モラトリアム
↓
フランクリン=ローズヴェルト
○イギリス
↓
第二次マクドナルド内閣
↓
マクドナルド挙国一致内閣
↓
○ソ連
第一次五ヵ年計画
↓ 世界恐慌
第二次五ヵ年計画