【教養のための世界史】中世イギリス、フランス史

今日は中世イギリス、フランス史です。

世界史チャレンジ。大学受験や教養、旅行の前になど。毎日少しずつ知っていこう。

 

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あらすじ

 もともと王の権力が強かったイギリスでは、王の力を議会によって制限する動きが見られました。 

 

 一方、もともと王の権力が弱かったフランスでは、領土を拡大することによって、権力が強くなっていきます。

 

 この2つの国が王位継承権、フランドル地方をめぐって百年戦争をしました。ジャンヌ=ダルクの活躍により、フランスが逆転勝利を収めます。

 

地図

 まずは、地図で今日やる箇所を確認しましょう。青がイギリスで、赤がフランス辺になります。

 

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イギリス

  まずは、ウィリアム1世ノルマン朝(1066~1087)を建国しました。彼はもともとノルマンディー公国(青い箇所)にいました。そして、部下を引き連れて、イギリスを征服します(橙)。彼は征服王と呼ばれます。フランスの統治方法を導入して、協力な封建王政を確立しました。そのため、他の大陸諸国と比べて王権は強大でした。

 

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 彼の子孫がプランタジネット朝(1154~1399)を開きます。ヘンリ2世です。彼はもともとフランスの貴族でした。結婚関係によって、イギリスの領土を引き継ぎます。さらに、妻はアキテーヌ公爵の一人娘でしたのでその領土も引き継ぎます。これによりフランスの西部大半を領有しました。領土は大きくなっていきます(青で囲まれた箇所)。ここから、イギリスとフランスは対立関係になります。

 

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 そして、ジョン王になります。彼は教皇インノケンティウス3世に破門されます。さらに、仏王フィリップ2世に敗北し、大陸英領土の大部分を失ってしまいました。そのため、イギリスではジョン王の評判は良くありません。イギリス王室はジョンという名前をつけたがりませんでした。

 

 このジョン王は政治に関しても能力は高くありません。そのため、ジョン王が勝手な政治をしないように、大憲章(マグナ=カルタ)によって、王様の力を制限する動きが見られました。課税する際は貴族の同意を必要とするようになります。

 

 子供のヘンリ3世も政治の力があまり高くありませんでした。彼の時は、王の圧政によって貴族のシモン=ド=モンフォールが反乱を起こします。

 

 このシモン=ド=モンフォールは1265年に諮問議会を開催します。これがイギリス議会の起源だといわれます。貴族、聖職者、騎士、市民を集めて、国王の政治を評価してり、審議したりする機会が設けられるようになりました。

 

 次のエドワード1世のときになると、模範議会が開かれるようになります。次のエドワード3世のときは、二院制議会が確立しました。貴族と聖職者の上院(貴族院)騎士と市民の代表の下院(庶民院)に分かれています。

 

 このように王の力を議会によって抑えていこうという動きがあったのでした。

 

フランス

 フランスの王は権力が弱かったため、領土を拡大して権力を強めようとしていました。カペー朝のときに、フィリップ2世は英王ジョンから領土を奪います。

 

 次はルイ9世です。彼はアルビジョワ十字軍を作り、異端アルビジョワ派を討伐します。その時に南フランスを領土にしました。

 

 フィリップ4世のときは、十字軍の失敗したときでした。彼は国内の騎士や諸侯を助けるためにローマ教皇と対立します。三部会の開催、アナーニ事件、教皇のバビロン捕囚などです。(前←三部会、アナーニ事件、教皇のバビロン捕囚)

 

百年戦争

 1328年、フランスのカペー朝が途絶えて、ヴァロワ朝ができます。しかし、当時の英王エドワード3世ヴァロワ朝に対してフランス王位継承権を主張しました。実は彼の母がカペー家の出身なのです。それなのに勝手に王が決められてしまったのです。そして、毛織物業が発達したフランドル地方の領有問題が加わり、百年戦争(1339~1453)が起こります。

 

 まずは、英のエドワード黒太子率いる長弓兵の活躍により、クレシーの戦いで圧勝します。ポワティエの戦いでは仏王を捕虜としました。

 

 イギリスが圧勝するだろうと思われたその時に、フランスで奇跡が起こります。

 

 仏王シャルル7世が反撃にでます。そして、彼のもとには聖女ジャンヌ=ダルクがついていました。彼女はオルレアンを解放します。最終的に、イギリス軍は、カレーという街のみを残して撤退しました。フランスが逆転勝利したのです。

 

 百年戦争後のイギリスでは、バラ戦争(1455~1485)が起こります。ランカスター家ヨーク家が王位を巡り争ったのです。ともにバラの紋章を用いていたことからバラ戦争といいました。

 

 この戦争には、国内の貴族も騎士も参加します。しかし、戦争が長く続いたため殆どの貴族、騎士が没落しました。最終的にヘンリー7世テューダー朝を成立し、戦争を終結させました。

 

 百年戦争後のフランスでは、神聖ローマ皇帝とイタリアを巡って、対立しました。イタリア戦争(1494~1459)です。

 

略図

イギリス

 アングロサクソン七王国

  ↓              フランス

 エグバート       ノルマンディー公国 / ユーグカペー

  ↓               ↓

 ノルマン朝          

  ↓               

プランタジネット朝            ユーグカペー

  ↓ ジョン王               ↓  フィリップ2世

  ↓ ヘンリー3世             ↓ ルイ9世

  ↓ エドワード1世            ↓ フィリップ4世

  ↓ エドワード3世            ↓ アナーニ事件 / バビロン捕囚

                      ヴァロワ朝

               ↓

             百年戦争

  ↓ ワットタイラーの乱   ↓       ↓ ジャックリーの乱

                ↓  (イタリア教皇領)

               ↓   大シスマ

               ↓    ウィクリフ

                ↓   コンスタンツ公会議 → フス戦争

 

 今日はここまで。ではまた次回!

 

 

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