【教養のための世界史】 古代オリエント世界の統一

今日は古代オリエント世界の統一を勉強。少しずつまばらになってきて、流れをつかむのが難しくなってきますね。

 世界史チャレンジ。大学受験や教養、旅行の前になど。毎日少しずつ知っていこう。

 

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あらすじ

 オリエント地域を最初に統一したのはアッシリアでした。しかし、統治がうまくいかず滅亡します。その後、4つの大国が生まれました。メディア、リディア、新バビロニア、サイス朝エジプトです。

 

 そして、その4つを征服しオリエントを再統一したのがアケメネス朝ペルシアです。全盛期の王様、ダレイオス1世は、サトラップ、王の目、王の耳を使いとてもうまく統治をしました。

 

概観

  今日は赤で囲まれた箇所の歴史をやっていきます。

 

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地図

 まずは、オリエントはどこなのか地図で確認しましょう。この赤で囲まれた箇所がオリエントになります。

 

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  今までやってきた地域、エジプト(前←エジプトの流れ)、メソポタミア(前←メソポタミアの流れ)、パレスチナ、シリア(前←地中海東岸の民族の流れ)などが統一されていきます。

 

アッシリア

 

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 メソポタミア北部を支配していたミタンニからアッシリアが独立しました。アッシリアは前7世紀ごろオリエント世界を初めて統一します。メソポタミア、エジプト、シリアをまとめあげました。赤で囲まれた箇所です。

 

 このころ、ヒッタイトが滅んで、秘密事項だった鉄の作り方がオリエント中に広まったこともあり、鉄製の武器や騎馬隊を使って統一することができたのです。

 

 王アッシュール=バニパルのときには最大の領土を形成したといわれています。また、首都のニネヴェには世界最古の図書館を造営したとも知られています。

 

 前8世紀以降、領土を州(属州)に分けていきます。日本の都道府県のような感じに分けたのです。そして、そこに王が任命した総督を派遣して統治していきました。王の命令が隅々まで行き渡るようにしたのです。とても合理的な統治方法です。

 

 しかし、強制移住、重税などの苛酷な支配を行っていたため、服属諸国で反乱が起こりました。この強制移住は、引き離して反抗する力を削ぎ落とすことと、治水工事に必要な労働力を補うことを目的にしていたのです。

 

 その後、前612年に新バビロニアメディナに攻撃されて、アッシリアは滅亡してしまいました。

 

4つの国

 アッシリアが滅亡した後、メディア、リディア、新バビロニア、サイス朝エジプトの4つの国が展開していきます。

 

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 リディア(前7世紀~前546)は小アジア(アナトリア)に建国されます。赤で囲まれたところです。ここでは、世界最古の鋳造貨幣が造られたといわれています。

 

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 新バビロニア(前525~前538)カルデア人によって作られたため、カルデアと呼ばれることもあります。新バビロニアユダ王国を滅ぼして、バビロン捕囚をしたのでしたね。赤で囲った箇所は新バビロニアです。

 

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メディア(前8世紀末~前555)はイラン高原に建国されました。とても大きい領土ですね。

 

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 最後にサイス朝エジプト(前664頃~前525)です。赤で囲まれた箇所が領土です。(前←エジプトの流れ)

 

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アケメネス朝ペルシア

 これらの4国が分立していましたが、ペルシア(イラン)人が作ったアケメネス朝ペルシア(前550~前330)がオリエントを再統一します。建国者はキュロス2世で、周辺地域に遠征へ向かい、メディア、リディア、新バビロニアを次々と征服していきます。

 

 そして、子のカンビュセス2世前525年にエジプトの征服を完了し、オリエントが再統一されました。

 

 その後、第3代目の王ダレイオス1世のときにアケメネス朝ペルシアは全盛期を迎えます。赤で囲まれた箇所がアケメネス朝の場所です。とても大きいですね。

 

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 ダレイオス1世が行ったことはたくさんあります。まず、全国を20の州に分けます。そして、王が直接任命したサトラップと呼ばれる知事を派遣させます。それだけでなく、監察官として、王の目王の耳も派遣しました。サトラップが悪いことをしないように監視しているのです。

 

 次に新しい首都としてペルセポリスを建設します。主に儀式用の都市です。後にアレクサンドロス大王に破壊されてしまいました。

 

 

 さらに、領土の各地に宿舎を設ける駅伝制が整備されます。行政用の首都のスサからサルデスの間に作られ、王の道と呼ばれています。全長約2500kmもあるそうです。

 

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 最後に、アッシリアと違い被征服民族の支配は寛容的だったとされています。例えば、アラム人やフェニキア人の交易を保護しました。さらに、それは宗教に対してもです。ゾロアスター教は保護されていました。

 

(次→ペルシア戦争)

 

ゾロアスター教

 ゾロアスター教は、ゾロアスターが作ったのでゾロアスター教といいます。また、火を重視していたことから排火教とも呼ばれます。経典はアヴェスターです。特徴としては、善悪二元論という世界観を持っています。また、善神アフラ=マズダと悪神アーリマンは戦い続け、そして、最終的に善神が勝利し、善神を信じていたものが救済されると考えています。そのことを最後の審判といいます。この考え方はユダヤ教キリスト教に影響を与えました。(前←ユダヤ教の始まり)

 

略図 

アッシリア /  ニネヴェ

↓ イスラエル王国を滅ぼす

新バビロニア、メディア / リディア、サイス朝エジプト

アケメネス朝ペルシア / キュロス2世

↓ ダレイオス1世 

アレクサンドロス大王

 

では今日はここまで。また次回!

 

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