今日はヘレニズム時代です。
世界史チャレンジ。大学受験や教養、旅行の前になど。毎日少しずつ知っていこう。
青い文字をクリックすると関連した画像検索や記事に飛びます。絵や写真だったり、続きの話、前の話です。気になったらさっと見てみましょう。
前の記事
あらすじ
マケドニアのフィリッポス2世が内乱だったギリシアをまとめました。その子のアレクサンドロス大王は東方遠征を行い、アケメネス朝ペルシアを破り、ギリシア世界とオリエント世界をまとめたのです。すると、文化も融合していき、ヘレニズム文化ができていきました。
概観
今日は赤で囲まれたところの歴史をやります。
地図
まずは今日の舞台を地図で確認しましょう。赤で囲った箇所が今日の話の中心です。
秩序
アケメネス朝はギリシアの内乱に干渉します。そこでギリシアの統一とアケメネス朝ペルシアを倒そうという動きがでてきます。(前←ギリシアの内乱)
マケドニアのフィリッポス2世(前359~336)はカイロネイアの戦い(前338)で、アテネ、テーベ連合軍を破ります。そして、ギリシア諸ポリスを制圧します。
さらに、コリントス(ヘラス)同盟(前337)を結成し、スパルタを除くギリシア諸ポリスをまとめました。その後、彼は部下に暗殺されてしまいます。
フィリッポス2世の子、アレクサンドロス大王は東方遠征を行います。まず、イッソスの戦い(前333)で、アケメネス朝を破ります。
次に、アルベラの戦いで、ペルシアのダレイオス3世を破ります。前330年、アケメネス朝は滅亡しました。そして、ギリシア世界とオリエント世界をまとめたのです。この融合時代のことをヘレニズム時代といいます。
アレクサンドロス大王は、各地にアレクサンドリアを建設します。また、ペルシアの儀礼、習慣をそのまま導入しました。そして、ギリシア語を少し変えたコイネーを公用語化します。
後継者
その後、アレクサンドロス大王は高熱で急死してしまいました(前323)。後継者を指名せずに、最強の者に譲ると言って死んでしまったのです。するとディアドコイ(後継者)が抗争し、3分立します。
1つ目はプトレマイオス朝エジプト(前304~前30)です。都はアレクサンドリア。最後の女王はクレオパトラです。青で囲まれた箇所です。(前←サイス朝)
2つ目はセレウコス朝シリア(前312~前63)です。茶色で囲まれた箇所です。領土が大きかったために、諸王国は独立していきます。パルティアやバクトリアなどです。(後→パルティア)
3つ目はアンディゴノス朝マケドニア(前306~前168)です。赤で囲まれた部分です。
文化
ヘレニズム文化とはギリシア文化とオリエント文化の融合で、世界市民主義(コスモポリタニズム)と個人主義が特徴です。ヘレニズム以前のギリシア人は価値観が同じでしたが、ヘレニズム以後(アレクサンドロス大王の遠征)は、様々は民族に出会い、世界にはいろんな価値観があると考えるようになったということです。(前←ギリシア文化)
哲学
ゼノン・・・ストア派 / ストアとは柱のこと / 禁欲主義
自然科学
ムセイオン・・・ 所在地はエジプトのアレクサンドリア
エラトステネス・・・地球の周囲の長さを測定 / ムセイオンの初代館長
エウクレイデス・・・平面幾何学を大成 /
アリスタルコス・・・地球の公転と自転を主張
アルキメデス・・・浮体の原理の発見 / てこの原理
彫刻
『ラオコーン』(→画像)・・・女神アテナの怒りをかって蛇に殺される神官の像
略図
アネメネス朝
↓
↓
ヘレニズム
↓
アンティゴノス朝 / プトレマイオス朝 / セレウコス朝 /
今日はここまで。また次回!