【教養のための世界史】古代ローマ

今日はローマの歴史。ここらへんがきちんとしていると映画も面白くなったりするのでしょうか。

 世界史チャレンジ。大学受験や教養、旅行の前になど。毎日少しずつ知っていこう。

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あらすじ 

 ローマの始まりは貴族政治でしたが、次第に民主政治になっていきました。ローマは最初小さなところでしたが、ポエニ戦争など戦争によって、どんどん領土を拡大していきます。

 

 しかし領土拡大は社会を大きく変え、内乱の1世紀を迎えます。内乱はカエサルによって収まりますが、独裁をしようとして暗殺されました。その後、オクタウィアヌスがローマの覇権を握りました。

 

概観

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地図

 まずは、地図から確認しましょう。今日やるローマの話はこの赤で囲った範囲です。そして、長靴の半島がイタリア半島です。

 

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はじまり

 前8世紀にラテン人ティベル川の畔に都市国家ローマを建国します。しかし、エトルリア人によって、ローマは一時支配されました。

 

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政治

 その後、ローマ人はエトルリア人を追い出します。そして、最初に政治の権力を握ったのは、貴族でした。

 

 当時のローマの最高機関のことを元老院といいます。任期終身のパトリキ(貴族)で構成されています。国会のようなものです。また、最高政務官であるコンスルは任期1年で2名で構成されています。2人なのは権力の集中を避けるためですね。

 

 しかし、国の緊急時のときは、独裁官(ディクタトル)が国を収束させました。話し合っていたのでは時間がかかってしまいますからね。権力を集中させ、緊急事態を独裁政治で乗り切ったのです。

 

 そして、全男性市民で構成されている民会があります。しかし、元老院の承認を得ないと国法化できません。これに平民(プレブス)は不満にもっていました。

 

 プレブスは、中小土地所有者と商工業者で構成されています。また、彼らは重装歩兵部隊を形成していました。国を守っているため、次第に参政権を要求していきます。

 

 そのため、平民の権利を守る機関が整えられていきます。まず、護民官が設置されました。2名で構成され、拒否権を保有しています。 

 

 次に、平民の話し合いの場として平民会が作られます。平民のみで構成されています。そして、しだいに平民の権利が認められていきました。

 

 1つ目は、十二表法(前5世紀半)です。慣習法を成文化しました。

 

 2つ目は、リキニウス・セクスティウス法(前367)です。コンスルの1名を平民から選ぶようにし、大土地所有の制限しました。。コンスルになれば、独裁官として平民に有利なことができますね。

 

 また、ローマの軍事力の主力は重装歩兵です。装備は自ら買うので、貧民になってしまっては国力が落ちてしまいます。そこで、土地の所有を制限して、貧民に配り、国力をあげようとしました。

 

 3つ目は、ホルテンシウス法(前287)です。平民会での決議は元老院の承認がなくても国法になりました。ホルテンシウスはもともと平民です。そして、コンスルになり、ディクタトルになったのです。

 

 これらにより、3世紀には平民と貴族との政治的権利は同等になりました。しかし、実際はどうでしょう。官職は無給なので、裕福でなければ務まらなかったのです。そのため、貴族や富裕層が政治を主導する体制は変わらず続きました。

 

領土拡大

 その後ローマは領土を拡大していき、前272年にイタリア半島を統一します。そして、軍道を整備することで、武器や食料をすぐに運ぶことができました。「すべての道はローマに通じる」ですね。赤で囲ったところがイタリア半島です。

 

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 また、イタリア半島内の都市を植民市、自治市、同盟市に分ける分割統治をしました。このように格差を設ければ、都市同士で対立していきます。反ローマとして団結することはないということですね。

 

 半島を統一したローマは次に海上に進出していきました。前264年~前146年に近隣と戦争を起こします。それが、ポエニ戦争です。戦った相手はカルタゴです。フェニキア人の都市ですね。(前←フェニキア人)。ポエニ戦争の中身を見ていきましょう。

 

 1回目、ローマはシチリア島を獲得し、ローマ初の属州になりました。シチリア島穀物を非常に多く生産できる土地です。赤で囲った箇所がシチリア島です。

 

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 2回目、カルタゴの名将ハンニバルが登場し、ローマは苦戦します。それは冬のアルプス山脈を越えて北イタリアへ侵入したからです。普通は山脈なんか越えたりせず船で行きます。しかも象をつれていきました。予期しない侵入でした。

 

 しかし、ローマの大スキピオが反撃し、ハンニバルを撃破しました。

 

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 3回目で大スキピオの孫である小スキピオカルタゴは滅亡してしまいます。何回も攻めてくるカルタゴに恐怖を感じ、街を徹底的に破壊しました。また、実際はわかりませんが、そこに塩をまいたとも言われています。

 

 そして、3回にわたるポエニ戦争の結果、ローマが地中海西部の覇権を握りました。

 

統治

 ローマはどんどん領土を拡大していきます。だいたい赤で囲った範囲くらいです。

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 では、この大きな領土をどのように統治していたのでしょう。

 

 まず、騎士(エクイテス)に属州の徴税を任せました。属州とはイタリア半島以外のローマの征服地のことです。そして、彼らは大きな富を得ました。

 

 ローマとの戦いで負けた人は奴隷にされ、農業奴隷として大土地経営に利用されました。これがローマの統治の仕方です。

 

社会の変化

 ローマの領土拡大は社会を大きく変えていきます。

 

 中小農民は、自費で戦争へ行くため、負担になっていきます。また、戦争によって耕地が荒れてしまいました。さらに、属州からの安価な穀物流入していきたのです。そのため作る麦は売れなくなってしまいました。

 

 その結果、無産市民となり、「パンと見世物」を求めて都市ローマへ入っていきます。

 

 さらに、彼らが捨てた土地や征服活動で得た公有地を私有地化して、富裕層は大所領を形成していきます。この大土地所有制をラティフンディア(ラティフンディウム)といいます。ここでは戦争で捕虜になった大量の奴隷を酷使し、果樹栽培をしました。すると経営に成功するものも出てきます。

 

 このようにして、中小農民は没落していきます。一方、富裕層は、さらにお金を得ていきます。格差がどんどん広がっていきました。

 

 この後のローマは、代表者スラ閥族派と代表者マリウス平民派が派閥闘争を起こしていきます。閥族派元老院中心の政治体制と維持したいと思っています。富裕層側ですね。一方、平民派は民会を基盤に政界への進出を目論んでいます。このようにローマは次第に権力を争っていきました。

 

内乱

 ローマは内乱の1世紀(前2世紀後半~前30年)を迎えます。

 

 リキニウス・セクスティウス法で大土地所有は制限されましたが、関係なく、ラティフンディアが行われていきます。前367に制定された法なので仕方ないのかもしれません。

 

 しかし、ローマの軍の中心は重装歩兵です。没落してしまったら、国防はどうするのでしょう。

 

 そこで、グラックス兄弟(前133~前121)は、自作農創設による軍の再建を目指すため、無産市民への土地を分配しようと改革を行いますが、失敗してしまいました。

 

 

 さらに、同盟市戦争(前91~前88)が起こります。イタリア半島内の同盟市が、ローマ市民権を要求して蜂起しました。鎮圧後、イタリア半島内のすべての都市に市民権が与えられます。

 

 征服や鎮圧を行い手柄を立てた政治家はしだいに独裁をはじめようとしました。票を集めるために「パンや見世物」を遊民に与えて支持を得ていきます。その中には、剣闘士の戦いもありました。剣闘士のスパルタクスが反乱(前73~前71)を起こしています。

 

 元老院はもちろん独裁をされたくないので、政治家を追い出そうと躍起になっていきました。どんどんローマが混乱していきます。

  

 この混乱したローマをうまくまとめるために、当時力を持っていた3人が協力しました。第1回三頭政治(前60~前53)です。ポンペイウスクラッスス、サエサルの3人です。

 

 ポンペイウスはスラの後継者です。カエサルはマリウスの後継者になります。ガリア遠征で国民からの人気を得ました。

 

 まず、クラッススはパルティア遠征で戦死してしまいます。そして、残りの2人で争い、最終的にカエサル(画像)が勝ち、独裁をしていきました。

 

 ローマをまとめるには1人に権力を集めたほうがいいと考え、カエサル終身ディクタトルに就任します。しかし、反発も大きく、共和主義者のブルートゥスらにより暗殺されてしまいました。

 

 カエサルの死後、第2回三頭政治(前43~前36)が行われます。アントニウスレピドゥスオクタウィアヌスの3人です。

 

 レピドゥスは早めに失脚してしまいます。そして、残りの2人で争います。カエサルの右腕であったアントニウスオクタウィアヌスが対立しました。

 

 プトレマイオス朝エジプトの女王であったクレオパトラは、ローマが地中海を征服しているこの状況で、自国を守るために、アントニウスに接近します。そして、アントニウスクレオパトラvsオクタウィアヌスの戦いが始まりました。それがアクティウムの海戦(前31)です。結果、勝ったのは、オクタウィアヌスでした。(前←プトレマイオス朝エジプト)。

 

略図

 

ローマ(王政)

ローマ(共和政)

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ローマ(帝政)

 

今日はここまで。ではまた次回!

 

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