今日はアメリカ独立革命です。ついにアメリカがやってきましたね。
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地図
まずは地図の確認です。アメリカは赤で囲まれた部分です。今日はここについての話です。
13植民地
アメリカはもともとイギリスの植民地でした。イギリスの人たちがアメリカに移り住んで作ったのが13植民地です。これがアメリカの母体です。
13植民地はだいたいアメリカの東海岸に作られました。赤いところらへんです。 大西洋を挟んでイギリスがあります。
13植民地で有名なのは、ヴァージニア、ニューイングランド、ニューヨーク、ペンシルヴァニア、ジョージアなどがあります。
1番最初に出来たのは、ヴァージニアです。次にニューイングランドです。ここはイギリス市民革命のときに逃げ出したピューリタンが作ったところです。
ニューヨークはもともとオランダのものでした。それをイギリスが奪い、ニューアムステルダムからニューヨークに名前を変えました。そして、13植民地の最後はジョージアです。
これらは、イギリスから移ってきたので、イギリスのような習慣があります。
たとえば、イギリス議会を手本に、13植民地それぞれに植民地議会を設置しました。経済的にはプランテーションを実施しました。主にアメリカ南部で行われ、労働力となるのは黒人奴隷でした。そして、商品作物を栽培し、イギリスに輸出して利益を上げていました。
独立前夜
イギリス本国は重商主義政策を展開しています。輸出を多くして利益を上げるものです。そのため、フランスと輸出先を巡って戦争を多くします。北米でも争いました。フレンチ=インディアン戦争です。イギリスと13植民地 vs フランスと現地のインディアンの戦いでした。フランスの植民地は13植民地の隣にあったのです。青で囲った箇所がフランスの植民地。
この戦争によって、イギリス本国は財政難になりました。そのため、北米植民地に対してあらゆる課税をかけていきます。13植民地は、これまで隣にいたフランス植民地との戦いで守ってもらうためにお金を払っていましたが、この戦争により、その必要もなくなります。そのため、お金を払うのがいやなのです。ここからイギリス本国と13植民地との関係が悪化していきます。
イギリス本国は、印紙法を発布します。あらゆる印刷物に課税しました。新聞、教科書、婚姻届けまでも課税したのです。それに対して、13植民地は「代表なくして課税なし」と反論します。イギリスの議会に代表を送っていないのに勝手に13植民地のことが決まってしまうのが不満なのです。その後、印紙法は廃止されます。
これだけでは終わりません。次は、茶法を発布しました。イギリス東インド会社に対して北米植民地で販売する茶への免税権を与えました。これに対して、ボストン茶会事件が起こりました。茶法に反対した市民が先住民に変装し、夜に停泊していた東インド会社の船を襲撃し、積まれていたお茶の箱を全部捨ててしまったのです。
英語で書くとBoston Tea Partyです。Partyは政党や仲間という意味がありますが、そのまま訳してしまって茶会になりました。
イギリス本国は報復措置を取ります。ボストン港を閉鎖しました。さらにボストン港があったマサチューセッツ植民地の自治を剥奪してしまいました。これにより、13植民地は独立の気運を高めていきました。
独立戦争
1774年にフィラデルフィアで第1回大陸会議が開催されました。不当課税の拒否を掲げ、植民地側の団結をはかりました。
レキシントの戦いからアメリカ独立戦争が始まります。第2回大陸会議でワシントンをリーダーを決めて戦っていこうとしました。しかし、13植民地内では、独立に対する意見が分かれていました。国王派、中立派、愛国派で分かれました。国王派はイギリス本国派です。
まず、国内を団結させるために、トマス=ペインが書いた『コモン=センス』が出版されます。続けて、1776年7月4日にトマス=ジェファソンが独立宣言を発表します。これらにより独立の雰囲気が高まってきています。
駐仏大使であるフランクリンが各国に対して支援を要請しますが、各国はまだしぶっています。そこでついに、サラトガの戦いで植民地軍が勝ちます。これをきっかけにして、フランス、スペイン、オランダが支援するようになりました。
次に、エカチェリーナ2世の提唱で武装中立同盟を結びました。中には、ロシア、プロイセン、スウェーデン、ポルトガル、デンマークがいました。これにより、どちらにも手を貸さないので、間接的に支援したことになります。
さらに、義勇兵というボランティア兵がやってきます。ポーランドからコシューシコ、フランスからラファイエットがやってきました。このように各国がアメリカを支援していきました。完全に流れは植民地側です。
ついに、ヨークタウンの戦いで本国軍に勝利し、パリ条約で独立が認められ、ミシシッピ川以東のルイジアナを獲得しました。
独立後
独立後のアメリカは、アメリカ連合規約を定めました。これによって国名がアメリカ合衆国となります。そして、すべての決定は各州独自で決めることができました。各州のバランスを整える政府が存在していましたが、強い権限がありません。そのため、各州の団結がなくなっていきます。そのため、このアメリカ連合規約の見直しが行われました。フィラデルフィアで憲法制定会議でアメリカ合衆国憲法が作られました。アメリカ連邦政府の権限を強化したのです。さらに三権分立が初めて憲法に規定されます。立法、行政、司法ですね。
このアメリカ合衆国憲法を巡って、連邦派と反連邦派に分かれました。これが共和党(連邦)と民主党(反連邦)の母体になっていきました。
大統領
合衆国の初期の大統領はワシントンです。彼は反連邦派のジェファソンを国務長官、連邦派のハミルトンを財務官に採用しました。連邦派と反連邦派でバランスを取ったわけです。
第3代の大統領はジェファソンです。反連邦派の初勝利です。彼はミシシッピ川以西のルイジアナを買収しました。
第4代の大統領はマディソンです。彼の時に起こったのが、第2次独立戦争と呼ばれるアメリカ=イギリス戦争です。イギリスが海上封鎖を実施し、アメリカの通商を妨害したために起こりました。
この戦争により、アメリカの経済的自立が促進されます。そのため、保護関税政策を取って、米国内の初期産業を育成しました。これにより経済的に独立したのです。
略図
イギリスvs アメリカ
ヴァージニア植民地
↓
↓ 印紙法
↓ 茶法
↓ レキシントンの戦い
↓ 独立宣言
↓ ヨークタウンの戦い
↓ パリ条約
13植民地の独立