【教養のための世界史】アメリカの発展

今日はアメリカの発展ですね。大統領で整理してくわけですか。

 世界史チャレンジ。大学受験や教養、旅行の前になど。毎日少しずつ知っていこう。

 

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拡大

 マディソン大統領の時に、アメリカ=イギリス戦争がありました。ナポレオンの大陸封鎖令に対抗してイギリスが海上封鎖を実施します。これによって、アメリカの通商を妨害してしまい、これが戦争のきっかけになってしまいました。

 

 この戦争によりイギリスとの貿易はストップします。そのため、アメリカは経済的な自立が促されました。小さな産業がポツポツと出てきたため、彼は保護関税政策で米国の初期産業を育成します。

 

 第5代大統領のモンロー大統領モンロー宣言を出しました。孤立主義を提唱したのです。

 

 第7代大統領のジャクソンジャクソニアン=デモクラシーと呼ばれる改革を実施しました。しかし、白人男性限定で黒人とインディアンのことは考えていません。たとえば、彼は先住民強制移住を制定します。先住民をミシシッピ川以西の荒地に強制的に移住させました。中でもチェロキー族の辿った道を涙の道といいます。

 

 ついでに、アメリカ人の苗字の由来の話をしましょう。大きく分けて3つあるそうです。1つ目が住んでる場所です。hill(丘)、wood(森)などですね。2つ目はやっていた仕事。○○baker(パン屋)、○○shepherd(羊飼い)などです。3つ目が、父親の名前から付けたものです。son of jack(ジャックの息子)でjacksonのようなタイプです。

 

 アメリカが独立した当初の領土は東側でした。そのため西側は何があるかわかりません。こういう地域のことをフロンティアを呼んでいました。これを開拓していくことを西部開拓といいます。そして、アメリカ人がフォロンティアに行くことを当たり前だと思っていました。その考え方をマニフェスト=ディスティニーと呼びます。

 

 この考えのもと領土を拡大していきます。まず、フランスからルイジアナを買収します。そして、スペインからフロリダを買収し、テキサスを併合しました。

 

 次にアメリカ=メキシコ戦争で、カルフォルニアを獲得します。そして、カルフォニアでは金が発見されました。その金を求めて、人が押し寄せます。これがゴールド=ラッシュです。

 

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南北

 アメリカは、北部と南部で状況がまったく違いました。

 

 南部は、綿花を栽培して、イギリスに輸出していました(綿花プランテーション)。これを行うにあたって、すぐに輸出できるように自由貿易です。そして、綿花を栽培する労働力は奴隷でした。また、これに干渉されないように地方分権を望みます。これを政治に反映させようとするのが民主党になります。

 

 一方、北部は、商工業が発達してきました。しかし、イギリスほどではありません。そのため、保護貿易を望みます。また、黒人奴隷には反対の立場でした。解放させて、工場で働いてほしかったのです。そのため、政治に干渉できる中央集権を望みました。これを政治に反映させようとするのが共和になります。

 

 国内では奴隷制をめぐって論争が起こります。自由州奴隷州が対立していきました。自由州とは奴隷に反対の州です。一方、奴隷州は奴隷に賛成の州です。これを規定したのは、ミズーリ協定でした。北緯36度30分を境界線に以北を自由州、以南を奴隷州とモンロー大統領は決めたのです。不平等がおきないように、州の数はだいたい同じでした。

 

 しかし、この協定が破られてしまうのです。カンザスネブラスカが制定されました。カンザスネブラスカの州(新しい州が出来るとき)は自由州か奴隷州かは住民投票で決定することができるというものです。この2つは奴隷州を選びました。

 

 これに反発して、共和党が結成します。国民共和党奴隷制反対論者が合流して結成しました。また、ストウ夫人も『アンクル=トムの小屋』で奴隷制反対運動をしました。

 

南北戦争

 1861年共和党のリンカンが大統領になりました。リンカンは黒人奴隷制度を廃止しようと考えます。しかしこれに南部は抵抗しました。アメリカ合衆国から独立を宣言したのです。都をリッチモンドに置き、アメリカ連合国を建国しました。そして、反連邦主義、奴隷制擁護、自由貿易を掲げました。これアメリカ連合国アメリカ合衆国が戦うのを南北戦争といいます。

 

 戦争のはじまりは、南軍の攻撃から開戦しました。南軍が優勢です。そこで、リンカンは、ホームステッド法を制定しました。公有地で5年間定住・開墾した者に一定限度の土地を無償で与えるというものです。これにより、西部の開拓農民から支持を集めることに成功しました。

 

 さらに、奴隷解放宣言を発表しました。これにより、奴隷を解放するという目的の明確化を行い、黒人だけでなく、海外から支持を得たのです。

 

 1861年ゲティスバーグの戦いがありました。この土地でリンカンは「人民の人民による人民のための政治」と演説します。そして、1865年リッチモンドが陥落し、北軍は勝利しました。

 

 憲法修正第13条奴隷制度が廃止されました。しかし、解放した奴隷は小作人であるシェアクロッパーになってしまいます。北軍は工場の労働力として期待していたのでした。

 

 解放されたからといって幸せとは限りません。それはK・K・Kという反黒人秘密結社があったからです。彼らにおびえていたのです。

 

 経済は、北部で商工業が急成長しました。アメリカは1870年代第2次産業革命を迎えます。しかし、酷使される労働者も増えました。そこで、アメリカ労働総同盟(AFL)が結成されました。

 

 また、19世紀後半から移民が増加します。それは、工業の労働力として積極的に受け入れたからでした。1840年代後半から50年代は、アイルランド系、ドイツ系、アジア系の旧移民が入ってきます。1880年代は東欧系の新移民が入ってきました。

 

 1869年に東西を結ぶ大陸横断鉄道が開通します。これにより、政治的、経済的に統一が進みました。また、フロンティアの消滅が宣言されます。その後、アメリカは海外市場を目指し、カリブ海や中国など外へ出て行きました。

 

略図

ワシントン

ジェファソン

モンロー

↓ モンロー宣言

ジャクソン

↓ ジャクソニアン・デモクラシー

リンカーン

南北戦争

ゲティスバーグの戦い

マッキンリー