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旧石器時代
更新世時代には、日本は中国のほうとつながっていて陸続きでした。そのため、ナウマンゾウといった大型動物が日本にやってきたのです。長野県の野尻湖の遺跡が有名ですね。
では、大型動物を狩るために何を使っていたのでしょう。石と石を打ち合わせて作った打製石器を使っていました。相沢忠洋(ただひろ)が群馬県の岩宿遺跡から発見します。これにより旧石器文化があるとわかったのです。実は、縄文時代までしかないと思われていました。
縄文時代
縄文時代の人はどんな生活をしていたのでしょう。彼らは、狩猟、漁労、採集の手段で食べ物をとっていました。
狩猟では、中小動物を捕まえていました。逃げ足が速いので、旧石器時代で使っていた斧でなく、弓矢を使うようになります。
漁労では、動物の骨や角(骨角器)を使って、釣り針や銛を作っていました。
採集では、農業は本格的にまだはじまっていないので、木の実などを拾っていました。
そんな彼らは竪穴住居に住んでいました。それは、地下のほうが温かいからです。奈良時代くらいまではこの住居がありました。
生活をしているのでもちろんゴミがでますね。彼らは貝塚にゴミを捨てていました。貝殻が多く出土したからこの名前なのです。モースが発見した大森貝塚が有名ですね。
では近場で生活していたのでしょうか。実は、千葉県の加曾利貝塚から長野県で出土する黒曜石が発見されました。ここから、広い範囲で交易を行っていたことがわかります。
生活の中では、縄文土器を使っていました。最初は、装飾がありませんでしたが、だんだんと装飾がつき、派手になっていきました。実は、「草創期、早期、前期、中期、後期、晩期」という風に土器の形によって、縄文時代は分けることができます。
縄文時代になると、打製石器だけでなく、磨製石器が使われるようになりました。打製石器を磨いて作ったのです。様々な使い方をされました。それこそ、細かい出来るため、皮むきや矢じりなどに使われたのです。
人は毎日生きていく中で、不思議なことがたくさん起こります。考えてもわかりません。その理由を人は神様のせいだとします。この時代は自然には神様が宿っていると考えました。これをアニミズムといいます。
弥生時代
縄文時代の次は弥生時代です。縄文時代との違いは、稲作と金属器です。この2つがあるから弥生時代といえます。北海道や沖縄はまだ、この2つが無かったので、続縄文文化、貝塚文化といわれました。
稲作は、大量の水を使います。そのため、その水をどっかからもってくる施設がしだいにできるようになってきました。灌漑施設といいます。
出来た稲は、高床倉庫に貯蔵されました。わざわざ高いところに置いたのには理由があります。それは、ネズミが入って来ないようにするため、もう1つは、湿気対策です。湿気の高い地面から離そうと考えたのですね。
金属器とは、鉄器、青銅器のことです。鉄器は実用的なもの、青銅器は儀式で使われていました。
土器をつくる技術や窯の性能も進歩したため、縄文土器より薄手のものができるようになりました。弥生土器です。
人々はしだいに協力するようになっていきます。分担で仕事をすると効率的ですからね。すると村ができるようになりました。この村には、溝で囲ってあるものもありました。村を守るためにできたのです。この時代から戦いが起こっていたことがわかります。さらに、墓に入っている副葬品をみると貧富の差があったこともわかりました。
人が集めればうまく村をまとめるためにリーダーが出てくるようになります。政治が生まれるわけです。しかし、この時代にはまだ文字がないので、記録することができません。
こうした当時の様子は、実は、中国の歴史書を見るとわかるのです。『漢書』地理志には、日本には、100くらいの国があり、貢物をもって中国にやってきたと書いてありました。
後漢書東夷伝には、漢の皇帝光武帝が漢委奴国王(かんのわのなのこくおう)と彫られた金印を奴国王に与えたと書いてありました。
『魏志』倭人伝には、3世紀の日本のことが多く書かれています。ます、日本には30くらいの国があったと書いてありました。ここから、国の統一が進んでいったということがわかります。
次に邪馬台国に卑弥呼という女王がいたことが書いてありました。邪馬台国の場所については、未だにわかっていません。彼女は、占いやまじない(呪術)と使って、政治をしていました。
また、魏の皇帝は卑弥呼に「親魏倭王」の称号を与えて、金印を与えたと書いてありました。しかし、この金印は見つかっていません。そして、この後の卑弥呼が死んだ後のことも書いてありました。このように『魏志』倭人伝を読むと多くのことがわかったのですね。